角界のご意見番・横綱審議委員会 求める綱の品格と「苦言」の歴史

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稽古(けいこ)総見で、数々の騒動を起こした朝青龍(左)からあいさつを受ける横綱審議委員会の内館牧子委員(当時、手前中央)ら。内館さんと朝青龍は目も合わせなかった=東京・両国国技館で2008年1月8日、岩下幸一郎撮影
稽古(けいこ)総見で、数々の騒動を起こした朝青龍(左)からあいさつを受ける横綱審議委員会の内館牧子委員(当時、手前中央)ら。内館さんと朝青龍は目も合わせなかった=東京・両国国技館で2008年1月8日、岩下幸一郎撮影

 横綱審議委員会(横審)は日本相撲協会の諮問機関として1950年に発足した。当時は横綱の成績不振や途中休場が相次ぎ、論議を呼んだ。そこで横綱昇進へのお墨付きを与える一方で、引退勧告などもできる「ご意見番」として、好角家や各界有識者で構成する機関が求められた。

 これまで横審と横綱や協会との間では、横綱昇進の条件として内規にある「大関で2場所連続優勝か、それに準ずる成績」の解釈や横綱に必要とされる「品格」などを巡り、さまざまな出来事があった。

 かつては「準ずる成績」を広く解釈する時代もあったが、厳格に判断するきっかけになったのが、86年名古屋場所後に横綱へ昇進した双羽黒を巡る騒動だ。

 優勝経験はなかったものの、将来性に期待を込めた協会は横綱昇進を諮問。横審委員の中には反対の意見もあったが、昇進を答申した。…

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