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ロシア軍によるウクライナ侵攻のニュースを日々、ウオッチしながら、漫画家のちばてつやさん(83)の顔がちらついた。旧満州(現中国東北部)で育ち、終戦後に日本への引き揚げで過酷な体験をした人だ。「あしたのジョー」などの名作を次々に世に送り出してきた一方で、「戦争はしてはいけない」と訴えてきたことは広く知られている。
「退院したばかりでね、病み上がりなんですよ」。喉の治療中で声が出にくいと事前に聞いていたのだが、現れたちばさんはしゃんと背筋を伸ばし、穏やかにそう話し始めた。聞けば、ウクライナ侵攻を知ったのは入院中のこと。手術の全身麻酔が残っていたのか、ふらつく頭でベッドに横たわっていると、テレビの画面越しに花火のような光と真っ黒な煙が見えた。「戦争が始まったんだ」。ちばさんの意識は、旧満州の自宅を夜逃げ同然に抜けだして戦地を逃げ惑った77年ほど前、まだ幼かった6歳の自分に戻っていた。
日本は1932年、旧ソ連の南下を防ぎ、国内の不況や農地不足を打開するため「満州国」を建国。「五族協和」をうたって漢、満州、朝鮮、モンゴル、日本の各民族の共生を掲げたが、実態は日本が支配するかいらい政権だった。ロシアも「ウクライナは同一民族の兄弟国」と主張し、東部独立の支援を名目に侵攻に及んだ。武力に勝る国が大義名分を掲げ、支配をもくろむ。似ていないだろうか。
旧満州からの引き揚げは、「新天地」に憧れて大陸に渡り、心ならずも侵略に加担した人々が「内地」に戻る旅だった。ちばさんもつらい目にあったが、「内地に帰ればおじいちゃんやおばあちゃんが待っている。だから頑張れ」と母に励まされ、希望を持つことができた。そして現在。着の身着のままで逃げるウクライナの避難民に、幼かった自身を重ね合わせ、心を寄せる。「自分たちの住んでいた街を壊され、追い出される。その時の怖さ、寒さ、ひもじさを思い出してしまってね。だけどね、ウクライナは逆なんだ。…
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