世界一周を「勲章に」 長男がダウン症、旅行会社社長の気づき
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「アンパンマン」のキャラクターが描かれたスコップを使い「世界最大の砂場」で遊んだ。砂の上を転がっても誰もとがめない。ダウン症と診断された長男の陽輝(はるき)さん(9)ら3人の子どもたちは好きなだけはしゃぎ回った。家族の誰もが満面の笑みを浮かべていた。
旅行会社「とことこあーす」(大阪市旭区)の社長、戸田愛さん(37)は2019年10月、家族5人でアフリカ北部に広がるサハラ砂漠にいた。米国とほぼ同じ面積の広大な砂漠を背景に、一家は大事な「旗」を手に記念撮影した。中央には長女、優音(ゆい)さん(11)が描いた家族の似顔絵。その周りを友人らの励ましのメッセージが囲む。
撮影後、そんな大切な「旗」を砂漠に置き忘れ、取りに戻ったハプニングも今では思い出の一ページだ。
家族が「チーム」となって巡った231日間の世界一周で、子どもたちの成長を実感し、新たな旅の価値を見いだせた。そして「人生を取り返せた」とも感じる。
今年3月、小学校の教室に戸田さんは立った。「スオスダイ(こんにちは)」。クメール語のあいさつとともに、笑顔の子どもたちがスクリーンに映し出されると、歓声が上がる。大阪市立大宮小学校(同)の5年生70人とカンボジアの村をオンラインで結んだ交流授業。戸田さんと、現地で活動する日本人NGOメンバーの司会で、双方の児童が互いの生活習慣や文化を紹介し合った。ひときわにぎやかになったのは日本から送った作文が映った時だ。約4000キロ離れた地に自分たちの作文が届いたのを見て、喜びを爆発させた。
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を受け、「とことこあーす」の事業は、海外と日本をつないだオンラインツアーを中心に展開している。カメラマンを帯同した現地ガイドが街を歩き、日本側の参加者に街の魅力を伝える。企業が社員レクリエーションに使うケースもあるが、学校での活用に力を入れている。
大宮小での授業は、優音さんと陽輝さんが通っている縁で依頼された。「同じ年ごろでも世界にはいろいろな境遇で暮らしている子どもがいることを知ってほしい。これから成長する中で世界を考えるきっかけになれたら」。海外とつなぐ意義を戸田さんは話す。
旅行者向けに現地ガイドを紹介する事務所として、15年5月に事業を始めた。実はその3年前、戸田さんは絶望のどん底にいた。陽輝さんが出産直後にダウン症と診断されたのだ。
ダウン症の子は、高齢出産で生まれる割合が高くなるとされる。当時28歳。出産前は誰も心配していなかっただけに、ショックは大きかった。「この子は落ちこぼれにもなられへん。これからはこの子の世話に追われ、自分の人生もない。まして世界一周なんて……」。目の前が真っ暗になった。
学生時代から思い描いていた「青写真」があった。
大学の英文科を卒業後、旅行会社の添乗員になった。高校時代に短期留学してから憧れていた職業だった。経験が浅い若手でも責任は重い。ツアー客全員の安全を確認しつつ、客同士のトラブルなどにも対処しなければならない。大変だったが、ツアーが終わる度に、全員で一つの旅を作り上げた充実感が味わえ、天職と思えるほどのやりがいを感じていた。
大学時代に知り合った光明さん(36)と結婚。優音さんの妊娠を機に退職したのも「大好きな仕事だから、体調も顧みず働いてしまい、周囲に迷惑を掛けそう」と考えたから。いずれまた働くつもりで、育児の合間には独学で総合旅行業務取扱管理者の国家資格を取得した。旅行商品を販売する旅行会社に必要な資格だが「再就職に有利かな」という認識だった。
恋愛、結婚、子育てという「普通の人生」を送るものだと思っていた。しかし、障害を持つ子どもを育てることで、将来設計が土台から崩れ去ってしまった感覚に陥った。
陽輝さんに重い症状や身体的な不自由はなかったが、同年代の子どもより発達が遅いことに引け目を感じていた。散歩中に友人らと出会ったりすると「『なんでこの子はしゃべらへんの?』『歩くのが遅いん?』って思っているやろな」と勝手に想像してしまう自分がいた。あいさつもそこそこに、立ち去ってしまう日が続いた。
17年に次女の芽結(めい)ちゃんが誕生。翌年の初秋、5人に増えた家族で旅行イベントに参加した帰り道、何気ない会話で、あの時に「終わったかも」とさえ思ってしまった戸田さんの人生が大きく前に動き出した。若い頃から憧れていた「世界一周旅行」に、しかも家族全員で――。決断した。家族一人一人の歩幅は違うけれど、世界に一歩を踏み出せばいい。
「普通」じゃなくていい
陽輝さんがダウン症と診断されてから、落ち込みがちな戸…
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