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「マルコス」――。9日に大統領選挙が行われるフィリピンで、この名は相反する二つの響きを持っている。かつて長期独裁政権を敷いた故・マルコス元大統領による戒厳令の被害者は「独裁の同義語」と話す一方、今回の大統領選で最有力候補とされる長男、フェルディナンド・マルコス元上院議員(64)を支持する若者は「偉大さ」と表現する。なぜこれほどの差があるのだろうか。
「私たちが経験した以上の独裁が待っていると思います」――。1972年に発令された戒厳令下で反政府派とみなされ軍による拷問を受けた元下院議員、ロレッタ・ロザレスさん(82)は、そう言って眉を寄せた。マルコス氏が政権を担う可能性が高まり、過去の経験がフラッシュバックするという。
独裁政権時代の体験を公の場で話してきたロザレスさんは、フィリピン政府が設置した独立組織の人権委員会で委員長を務めたこともあり、国内では「エッタ」の愛称で知られる。首都マニラの自宅に取材に行くと、「写真も撮りますか?ならば着替え直してめかし込まなくちゃ」と明るく出迎えてくれたが、その経験は明るさとは対照的だ。
ロザレスさんは自身を社会民主主義者だと説明する。だが学生時代に共産党と連携する組織による反政府運動に参加したことで、当局から「共産主義者」「反マルコス派」と目をつけられるようになり、72年と76年に逮捕された。いずれも約1カ月で釈放されたが、2度目の逮捕の際には、腕にろうを垂らされたり、水を含んだマットを口にあてられたり、手足の指先に針金を巻き付けられて電気ショックを与えられるなどして、仲間の名前や居場所を教えるよう迫られた。
「痛い」と英語で叫ぶと、「とっさにタガログ語を使えないのは非国民だ」などと言われたという。両言語はともに公用語と定められているが、愛国主義を推し進めたマルコス政権では、より地域に根ざしたタガログ語のほうがよいとされていた。「当時の国内の共産主義は脅威になりようもありませんでした。すべてが言いがかりのようで、痛みの一方、笑いがこみ上げるような思いでした」とロザレスさんは振り返る。
しかしその態度は当局側をいらだたせたようだった。軍人らはある日、ロザレスさんを別室に連れて行き、…
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