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「逃げてくださーい!」
2018年、沖縄県宜野湾市の市立普天間第二小学校。防衛省沖縄防衛局が配置した監視員や誘導員が常駐し、隣接する米軍普天間飛行場から米軍機が飛び立つたびに校庭の児童たちに拡声器で避難を促した。その年の4月に校長として赴任した桃原(とうばる)修さん(62)は校舎に駆け込む児童たちの姿を見て、涙がこぼれた。「こんなの学校じゃない」
8キロの窓、児童の10m横に落下
普天間二小で児童の命を危険にさらす事故が起きたのは桃原さんが赴任する3カ月半前のことだ。17年12月、普天間飛行場を離陸し、上空を飛行していた米軍ヘリから重さ約8キロの窓が校庭に落ちた。校庭では約60人の児童が体育の授業を受けていた。落下地点と、最も近くにいた児童の距離はわずか約10メートルだった。
米軍は事故の6日後に同型機の飛行を再開したが、学校は2カ月間、校庭の使用を見合わせた。使用を再開した後も米軍機が飛ぶたびに体育の授業は中断し、避難を迫られた。18年8月には校庭に2カ所、児童が身を隠すための屋根付きのシェルターまでもが防衛省の予算で作られた。
「普通じゃないわけさ。とにかく日常を取り戻すことが大事だった」。桃原さんは赴任後の日々を振り返る。児童たちはストレスを抱え、事故のショックで休職していた教員もいた。桃原さんは「なぜ避難するの?」と児童から尋ねられた。単純に「危ないからさ」と答えようとしたが児童が納得するとは思えず、言葉に詰まった。米軍関係者を父に持つ児童は作文に書いた。「自分にも責任があるのかな」
普天間飛行場は1945年の沖縄戦で米軍が住民の土地を占領して造り、72年の本土復帰後も使用を続ける。周辺は人口が密集する宜野湾市の市街地。以前から指摘されてきた危険性が改めて浮き彫りになったのが、04年に市内の沖縄国際大学で起きた米軍ヘリの墜落、そして17年の普天間二小への窓落下事故だった。
桃原さんは事故からまもない普天間二小への赴任を命じられたことを「運命だな」と感じた。96年に日米両政府が普天間飛行場の全面返還に合意した時に、宜野湾市の市長を務めていたのは父、正賢(せいけん)さん(故人)だったからだ。
「普天間飛行場は5~7年以内に全面返還される」。96年4月、首相官邸で記者会見した橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使は沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の返還に合意したと発表した。
桃原さんは、父、正賢さんがその日、ビールを口にしながら「苦労が報われた」と喜んでいたことを覚えている。だが、返還の条件は県内への代替施設の建設だった。正賢さんは「普天間の痛みを県内で回さないといけないのか……」と肩を落としていたという。
合意から既に26年。市街地にある普天間飛行場の危険性は今もそのままだ。一方、名護市辺野古沿岸部では県民の反対を押し切る形で政府が普天間飛行場の移設に伴う埋め立て工事を進める。
「辺野古だから、人が少ないからいいのか?」。桃原さんは父からそう問われたことを思い出す。「沖縄は日本から切り捨てられ続けている。本土復帰50年というけど、何も変わっていない」
「静かな空は知らない」リアル知って
空はいつもうるさい。日々、気にしていても仕方がないと思って生きてきた。
琉球大4年の座喜味瑠衣也(ざきみ・るいや)さん(21)は沖縄県北谷町の砂辺地区で生まれ育った。地区は沖縄県内で最も米軍機の騒音が激しい地域の一つだ。目の前にある米軍嘉手納基地には戦闘機など約100機が常駐し、滑走路を日夜、離着陸する。「話が途中で遮られて面倒くさいと思うけれど、慣れですよね。生まれた時から基地は当たり前にあって、静かな空は知らないから」
地区には空き地が目立つ。騒音に耐えかねた住民が一人、二人と、土地を国が買い上げる制度を利用して引っ越した。目立つのは米軍関係者の姿。基地に近く、通勤に便利だからだ。
基地があり、空が鳴る沖縄の日常が「当たり前」ではないと知ったのは中学2年のこと。修学旅行で熊本県を訪れた。乗ったタクシーの運転手に「どこから来たの」と尋ねられ、答えると「沖縄といえば基地があるよね」という言葉が返ってきた。車窓から空を見て思った。「そういえば、ここは静かだな」と。
座喜味さんの祖母、照屋洋子さん(70)は小学2年生の時に米軍機事故の恐怖を体験した。通っていた石川市(現在のうるま市)の宮森小に嘉手納基地所属の戦闘機が突っ込み、児童ら17人が亡くなった。米国統治下の1959年に起きた戦後の沖縄で最悪の米軍機事故。「何人かの児童が校庭でぐったりとしていた。とにかく怖くて、学校の方を振り返ることもできず、一目散に家まで逃げ、母に抱きついた」と振り返る。
座喜味さんは小学生の頃、事故のことを洋子さんに尋ねた。声を落とし、ぽつりぽつりと話す祖母は悲しげで、思い起こすのもつらそうに見えた。その時は「大変だったんだね」と言って話を終わらせたが、米軍機が落ち、子供たちの命が奪われたという事実は心に刻まれた。
「気にしていても仕方がない」。そんな考えは少しずつ変わり、異常な日常を意識するようになった。一方で、軍事力を膨張させる中国に対し、安全保障上の「抑止力」として嘉手納基地が果たす役割も知った。「住民としては基地はない方が良い。だが、近くの国の脅威がなくなるわけではない。答えを出すのは難しいが、折り合いを探りたい」。そんな思いで、座喜味さんは今、卒業論文のテーマに据えた嘉手納基地周辺の騒音被害を調べている。
「本土対沖縄みたいな図式ではなく、本土の人も理不尽な状況を知って、解決策を一緒に考えてほしい。砂辺に来て、こういうところに住んでいるんだというリアルを知ってほしい」
◇
米軍ヘリから窓が落下した事故から4年半。宜野湾市の普天間二小では今も上空を米軍機が飛ぶ。子供たちが校舎やシェルターに急いで避難する光景はなくなったが、校内にはこんな掲示がある。「音聞いて、止まって、目視、怖いと思ったら逃げましょう」【宮城裕也】
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