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沖縄復帰50年

2022年5月15日、沖縄は本土に復帰して50年を迎えました。何が変わり、何が変わっていないのか。沖縄の歩みと「今」を伝えます。

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米軍機が飛ぶ、児童に「逃げて!」 普天間周辺、異常な日常

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米軍機の上空飛行を想定し、校庭からの避難訓練をする普天間第二小学校の児童ら=沖縄県宜野湾市で2018年1月18日、佐藤敬一撮影
米軍機の上空飛行を想定し、校庭からの避難訓練をする普天間第二小学校の児童ら=沖縄県宜野湾市で2018年1月18日、佐藤敬一撮影

 「逃げてくださーい!」

 2018年、沖縄県宜野湾市の市立普天間第二小学校。防衛省沖縄防衛局が配置した監視員や誘導員が常駐し、隣接する米軍普天間飛行場から米軍機が飛び立つたびに校庭の児童たちに拡声器で避難を促した。その年の4月に校長として赴任した桃原(とうばる)修さん(62)は校舎に駆け込む児童たちの姿を見て、涙がこぼれた。「こんなの学校じゃない」

8キロの窓、児童の10m横に落下

 普天間二小で児童の命を危険にさらす事故が起きたのは桃原さんが赴任する3カ月半前のことだ。17年12月、普天間飛行場を離陸し、上空を飛行していた米軍ヘリから重さ約8キロの窓が校庭に落ちた。校庭では約60人の児童が体育の授業を受けていた。落下地点と、最も近くにいた児童の距離はわずか約10メートルだった。

 米軍は事故の6日後に同型機の飛行を再開したが、学校は2カ月間、校庭の使用を見合わせた。使用を再開した後も米軍機が飛ぶたびに体育の授業は中断し、避難を迫られた。18年8月には校庭に2カ所、児童が身を隠すための屋根付きのシェルターまでもが防衛省の予算で作られた。

 「普通じゃないわけさ。…

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