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5月15日で沖縄が日本に復帰して50年となるが、米軍基地問題を巡って度々出てくるのが「辺野古」だ。米軍普天間飛行場の移設先だと聞いたことはあっても、その街にどんな歴史があって、そこで暮らす人たちが何を考えているのかを知っているだろうか。「よそ者」として辺野古で約20年にわたってフィールドワークを続け、このほど「辺野古入門」(ちくま新書)を出した明星大教授(地域社会学)の熊本博之さん(47)に聞いた。【佐野格】
米軍との友好的な交流続く街
沖縄本島北部にある名護市。辺野古はその東海岸にある人口約1700人の小さな集落だ。米軍キャンプ・シュワブに隣接する辺野古は、普天間飛行場の県内移設先として浮上後、四半世紀にわたって基地問題に翻弄(ほんろう)されてきた。
沖縄が米国統治下にあった1950年代、米軍に土地を強制的に接収されそうになった辺野古は、米軍の余剰電力や水道の利用などを条件にキャンプ・シュワブの建設を受け入れた。その後、ベトナム戦争が終結する75年ごろまで米兵相手の歓楽街としてにぎわったが、徐々に街は寂れていった。そんな歴史を背景に辺野古の人たちは今でも、シュワブの米兵を運動会や沖縄角力(すもう)といった地域の行事に招くなど、米軍との友好的な交流を続けている。
「他人のシマで勝手なことをしないほうがいいよ」
宮崎県出身の熊本さんが沖縄を初めて訪れたのは大学院生だった99年。そこから沖縄に通う中で、ある痛烈な言葉を浴びた。「他人のシマで勝手なことをしないほうがいいよ」。沖縄にとって「よそ者」である熊本さんは大きなショックを受けた。だが、その言葉を機に、沖縄で暮らしている人たちのことをきちんと理解しようと、基地問題に揺れる辺野古で調査を始めるようになった。
紆余(うよ)曲折をたどる移設問題の経緯はもちろんだが、熊本さんが「辺野古入門」で繰り返して記すのが、辺野古の住民の視点だ。
例えば2004年に移設容認派の男性が語った次の言葉。「辺野古はエビみたいにあとずさりしながら背を向けないでいるんだよ」。辺野古の海を埋め立てて新たに造られようとする米軍基地。何の交渉もなく新たな基地ができるよりも、地域の活性化に少しでもつながる条件を引き出したい――。そこには「もろ手を挙げて基地を受け入れているわけではない」という強い意思が読み取れる。
「基地建設を止められないのであれば……」
<移設を受け入れるのはお金がほしいから><辺野古の住民は積極的に移設に賛成している>。熊本さんは住民との会話から、そうした単純な見方を否定する。「…
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