信楽鉄道事故31年 教訓まとめた冊子、非公表 背景にJR西批判

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信楽高原鉄道が作製した冊子。写真を交えて事故当時の状況を詳細にまとめている=2022年5月11日午後1時35分、村瀬優子撮影
信楽高原鉄道が作製した冊子。写真を交えて事故当時の状況を詳細にまとめている=2022年5月11日午後1時35分、村瀬優子撮影

 滋賀県甲賀市(旧信楽町)で1991年5月14日、信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が正面衝突し、42人が死亡、600人以上が負傷した事故で、SKRが教訓を総括した冊子を作製したものの、10年近く外部に公開せず「塩漬け」となっていることが関係者への取材で判明した。専門家は「貴重な資料で、公表して社会で役立てるべきだ」と指摘する。SKRは自ら事故を省みた記録をなぜ明らかにしないのか。

 冊子は「惨事をのりこえ 走り続けるために~信楽高原鉄道列車事故の総括~」。全222ページ(A4判)で、事故に至る経過や当日の状況のほか、事故原因や裁判の過程などを当時の写真を交えて詳細にまとめている。序章では「加害者であるSKRが事故を忘れることは許されない。事故を総括し、教訓を引き出し、SKRの未来に生かさねばならない」とうたう。

 事故後にSKR社長となり、長年対応に当たった北川啓一氏(2017年に92歳で死去)はあとがきで「運転士は事故を忘れることのないよう、いつも本冊子を携え、安全を心の中に刻みながら業務を遂行してくれるものと信じている」と記した。しかし、その願いは実現しなかった。

 関係者によると、11年に補償での負担割合を巡るJR西とSKRの訴訟が終結し、両社と滋賀県、甲賀市が安全を誓う共同メッセージを出したのを機に、SKRの顧問となっていた北川氏が「次にすべきことは、SKRとしての総括だ」と冊子の作製を提案した。当時の社長、今井恵之助氏(83)の下、北川氏とSKRの訴訟代理人だった島田和俊弁護士(71)を中心に編集。700部程度印刷し、関係者や図書館などに配布する予定だったという。

社長「この内容では公表できない」

 ところが13年6月に就任した正木仙治郎社長(70)=甲賀市副市長=は、原稿を見て「この内容では公表できない」と判断。島田弁護士らの働きかけで、今井氏が社長だった同年3月の発行として最終的に70部が印刷されたものの、作製に携わった関係者や社員の手にのみ渡り、冊子の存在は社外には秘された。

 なぜそのような判断をした…

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