幽霊や忍者なぜ描いた? 「不戦の戦中派」作家、山田風太郎

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生誕100年を迎えた作家、山田風太郎=小林洋氏撮影(姫路文学館提供)
生誕100年を迎えた作家、山田風太郎=小林洋氏撮影(姫路文学館提供)

 幽霊に神、そして忍者――。戦後間もなくデビューした作家、山田風太郎(1922~2001年)は、この世ならざる存在や超人的な技を持つ忍びたちを描き続けた。史実と虚構が融合する奇想の味わいは「自ら『不戦の戦中派』と名乗ったことに秘密がある」と専門家は考える。<人は変わらない。そして、おそらく人間の引き起こすことも>(『戦中派不戦日記』あとがきより)。生誕100年を迎えた今、敗戦の記憶に根ざした風太郎文学の魅力を改めてひもときたい。

 風太郎(本名・誠也)は兵庫・養父(やぶ)の医師の家系に生まれた。5歳で父を、14歳で母を病で失い、<魂の酸欠状態>を埋めるように文学や映画に傾倒していった。医学校の受験失敗を繰り返して42年、家出同然に上京。44年3月には陸軍の召集令状を受けて兵庫・姫路を訪れるも、肺の疾患で即日東京へ戻り、同年4月から医学生として銃後の生活を送った。出征した友人たちが戦死する中、戦地を知らぬまま生き延びた自称「傍観者」。この立ち位置は以後の執筆人生を決定づけた。

 代表作を挙げればきりがない。…

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