信楽高原鉄道事故31年で法要「反省刻み」 総括冊子は公開せず

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事故現場近くで営まれた信楽高原鉄道列車事故の犠牲者追悼法要=滋賀県甲賀市で2022年5月14日午前10時38分(代表撮影) 拡大
事故現場近くで営まれた信楽高原鉄道列車事故の犠牲者追悼法要=滋賀県甲賀市で2022年5月14日午前10時38分(代表撮影)

 滋賀県甲賀市(旧信楽町)で1991年、信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が正面衝突して42人が死亡、600人以上が負傷した事故から31年となった14日、同市信楽町黄瀬(きのせ)の事故現場で追悼法要が営まれ、遺族ら7人が参列した。新型コロナウイルス対策のため、今年も規模が縮小された。

 法要ではSKRの正木仙治郎社長やJR西の長谷川一明社長らが、慰霊碑を前に黙とう。コロナの感染防止策として時間を短縮するため、両社長は追悼文を読み上げず、慰霊碑に供えた。正木社長は追悼文で「事故を教訓として、一層の安全対策を図りながら、地域とお客様に愛される鉄道として、着実に進んでいく覚悟だ」とし、長谷川社長は「事故の反省を心に刻み続け、安全で安心な鉄道を築き上げていく強い使命感を持って『考動(こうどう)』を重ねることで、信頼してご利用いただける鉄道を築き上げることを誓う」とした。

 一方、SKRが事故を総括する冊子を作ったにもかかわらず、JR西への批判的な内容を問題視して10年近く外部に公表していなかったことが13日、毎日新聞の報道で判明した。この問題について正木社長は法要後、記者団に「SKRだけで作ったものを一方的に公開するのは、応援いただいている方々にとってもマイナスになると思う」と述べ、今後も公表する考えはないとした。また、長谷川社長は冊子の内容が分からずコメントできないとしながらも「私どもの過去へのご批判は、明日の私たちの教訓と思っている」と述べた。【村瀬優子、礒野健一】

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