元大リーガー・吉井理人コーチが語る佐々木朗希育成法
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プロ野球史上16人目の完全試合という快挙を入団3年目、20歳5カ月の最年少で達成したロッテの佐々木朗希投手。1、2年目に投手コーチを務めた元大リーガーの吉井理人(まさと)さん(57)の最初の印象は「こいつが完投するイメージが湧かへん」だった。球界の至宝を育てた吉井さんに、育成法を聞いた。【荻野公一】
4月10日のオリックス戦でプロ野球最多タイ記録の19三振を奪って完全試合を達成し、17日の日本ハム戦も「8回完全」の快投を見せた佐々木。球場のモニターで見ていた吉井さんは「(将来的に)まだまだ良くなると思う。どれだけ良くなるかは想像がつかない」とうなりながら、入団当初のことを思い起こした。
岩手・大船渡高時代に高校最速とされる163キロをマークし、ドラフト1位で鳴り物入りで入団した逸材に、吉井さんは「恐怖感」を抱いたという。「体つきは中学生みたいで、まだ高校にも上がれそうにないほどの体力。見た目のひ弱さの割には出力が高いので、3球ぐらい投げたらぶっ壊れるんじゃないかなと」。190センチの長身から160キロを超える豪速球を投げるには細身だった上に、身長も骨も腱(けん)もまだ全てが成長を続けていた。
「こいつが完投するイメージが湧かへん」と思った吉井さんは「日々体つきも変わっていくし、感覚も変わる。じっくり行かないといけないかなと」。吉井さんがそう考えた背景には、過去に高卒新人投手と向き合った経験や、自分自身の体験もあった。
高卒新人を初めて預かったのは日本ハム投手コーチ時代の2010年、埼玉・春日部共栄高からドラフト1位で入団した中村勝投手(現オリックス)の時だった。育てるにあたり、自らも中村と同じ高卒でプロ入りした経験をもとに考えた。「引退して初めて自分の履歴を作った時に、1年足りないぞと思ったら1年目がスコーンと記憶から抜け落ちていた。それぐらい駄目だった」と振り返る。
吉井さんは和歌山・箕島高からドラフト2位で近鉄(当時)に入団したが、1年目はスピードは出ない、ストライクも入らないという有り様で「自分はどないしてもうたんや」と戸惑った。「原因は高校3年の夏から翌年のキャンプまでしっかり練習していなかったから。『やっている』と言っても高校生の頭で考えてやる練習はたかがしれている」と振り返る。自身はギターを弾くのに熱中し、状態を戻すのに1年半かかったという。
そこで割り切って中村にはキャンプ中にできるだけブルペンで投げさせなかった。遠投や、股関節に体重を乗せるためにマウンドの逆傾斜を使った体操など基礎練習に集中させた。本格的にブルペンに入り始めたのは3月中旬ごろ。5月上旬に2軍で1イニングを投げて実戦初登板し、球速も150キロ近く出た。吉井さんの目から見た球質の判断や、本人の感覚も含めていい状態に上がっていた。
「令和の怪物」と騒がれた佐々木についても、体も成長中でじっくり育てた方がいいと考え、佐々木は1年目から1軍に帯同して吉井さんがずっと見続けることになった。「高卒新人を育てる方法はつかんでいたが、それ以上にあいつの出力がこれまで経験したことがないものだったので慎重になった」。潜在能力があまりにも高いからこその難しさがあった。
結果的に1年目は2軍でも実戦登板は一度もなかった。ただ、元々の計画は違ったともいう。
吉井さんが立てた1年目の「幻のスケジュール」は…
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