- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

政治家になるつもりはなかった。でも、古里の行く末を考えると、新たな基地建設に目をつぶるわけにはいかなかった。その転機は2008年秋に訪れた。
沖縄県名護市の収入役や教育長を歴任した後、その年に勇退した稲嶺進さん(76)は、市長選への立候補を打診された。米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画に関して政府が提示した修正案を、当時の島袋吉和市長が受け入れた。これに不満を抱いた保守系市議の一部が、移設反対の勢力との共闘を探ったことが背景にあった。
辺野古が普天間飛行場の移設先として浮上したのは1996年にさかのぼる。市として受け入れるのか、受け入れないのか――。国策は市民を二分し、97年12月に実施された辺野古沖への海上ヘリポート建設の是非を問う市民投票では、「反対」が「賛成」を上回った。
この記事は有料記事です。
残り2932文字(全文3289文字)