連載

いま会いたい

スポーツに関わる人たちに思いを聞くインタビュー「いま会いたい」のページです。

連載一覧

いま会いたい

ファイティング原田さん語る ボクシングが国民的スポーツだったワケ

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
‎日本選手で初めて世界2階級制覇を成し遂げたファイティング原田さん=横浜市のファイティング原田ジムで2022年5月6日午後5時17分、田原和宏撮影
‎日本選手で初めて世界2階級制覇を成し遂げたファイティング原田さん=横浜市のファイティング原田ジムで2022年5月6日午後5時17分、田原和宏撮影

 オリンピックやサッカーのワールドカップ(W杯)など国民を熱狂させる祭典のたびに登場する、その名前はずっと気になっていた。ボクシング元世界2階級王者のファイティング原田さん(79)。テレビで高い視聴率を記録した過去のスポーツイベントの一覧には、原田さんのタイトルマッチがいくつもあった。何が人々の心をつかんだのだろうか。5月の連休明け、横浜市内のジムを訪ねた。

 「おう、よく来たね」。初対面にもかかわらず、旧知の間柄のように笑顔で出迎えてくれた原田さんに、こちらもあいさつ抜きに切り出した。もうすぐボクシングの日ですね、と。

5月19日は「ボクシングの日」

 日本プロボクシング協会は5月19日を「ボクシングの日」と定める。連合国軍総司令部(GHQ)の統治が終わって間もない1952年のこの日、世界フライ級タイトルマッチで挑戦者の白井義男さん(故人)が王者ダド・マリノさん(米国、故人)に十五回判定勝ちし、日本初の世界王者が誕生した。東京・後楽園球場には約4万人の観客が詰めかけ、来賓席では皇族やGHQの将校、官房長官らが見守った。当時の毎日新聞には「白井は世界の王者になったのだ。(中略)白井もうれし泣きに泣いていた」。あれから70年になる。

 原田さんは当時9歳。試合の記憶は全くないが、白井さんの名は原田さんにとっても特別だ。「もう70年になるのか。年を取るものだな。僕は白井さん以来の世界王者と言われたからね。世界王者になってから会う機会があったが、ボクシングやっていたのかなと思うぐらい温厚で、素晴らしい方だった」

 白井さんは4回の防衛に成功したが、54年に敗れた。その後、日本は8年近く世界王者が不在の期間が続いた。再び世界の壁を破ったのが、原田さんだった。

 62年10月10日、蔵前国技館での世界フライ級タイトルマッチで王者のポーン・キングピッチさん(タイ、故人)にKO勝ち。1ラウンド開始のゴングと同時に飛び出し、ラッシュ攻撃で主導権を握る。十一回には左右の連打を浴びせて王者をコーナーに追い込み、ダウンを奪った。海外メディアに「狂った風車」と形容される鬼気迫る攻撃だった。原田さんは19歳の若さで日本で2人目の世界王者に輝いた。

 当時、世界王者は原田さんを含めてわずか10人ほどだった。現在は階級が細分化され、団体も分裂するなどして主要4団体の17階級(世界ボクシング評議会<WBC>は18階級)に、格上げされたスーパー王者やけがによる暫定も含めれば、70人を超える王者が乱立する。王者の重みが違うとされる、ゆえんだ。「世界王者がそれぐらいしかいない中で戦った。今思えば、頑張ったと思うよ」

人々沸かせた劇的な勝利

 原田さんは初防衛戦で敗れたが、すぐに再起。階級を一つ上のバンタム級に上げる。65年5月18日、「黄金のバンタム」と呼ばれた当時、50戦無敗の世界王者、エデル・ジョフレさん(ブラジル)を判定で破り、日本選手初の2階級制覇を果たした。戦前は不利が予想されたこともあり、劇的な勝利に人々は沸いた。テレビの世帯視聴率(関東)は54・9%を記録。さらに翌年のジョフレさんとの再戦は63・7%と跳ね上がった。

 ビデオリサーチによると、視聴率調査が始まった62年12月以降、スポーツにおける世帯視聴率(関東)の最高記録は64年東京五輪女子バレーボール決勝の66・8%。「東洋の魔女」と呼ばれた日本代表がソ連を破って金メダルに輝いた一戦だ。次いで、サッカーW杯で日本が初勝利を挙げた2002年日韓大会のロシア戦の66・1%と続く。原田さんのタイトルマッチはスポーツ分野のトップ10のうち三つ、20位までなら六つを占める。国民的なヒーローだった。

 なぜ人々は原田さんの試合に夢中になったのか。作家の百田尚樹さんは自著「『黄金のバンタム』を破った男」(PHP文芸文庫)でこう記している。「原田のボクシングは無骨であり、不器用だった。打たれても打たれても前進を止めず、決して逃げることなく、飽くなき闘志で向かっていった。だからこそ国民はそんな原田を誰よりも応援したのかもしれない」

 当時は高度成長期のさなか。原田さんが世界王者として活躍した60年代は日本が国際社会に認められ、世界へと飛躍する時代でもあった。原田さんは「ワッショイ、ワッショイと皆さんが応援してくれるから頑張れた。自分であの雰囲気が作り出せたわけではない。僕は負けられないと向かって行っただけ。もう一度、あの時代の熱気を取り戻してほしい」と振り返る。

原田さんが認める「最強の王者」は

 日本ボクシングコミッション(JBC)によると、白井さん、原田さんに続いてこれまで日本のジムからは94人の王者(男子のみ、JBC非公認を除く)が誕生した。その中で、ボクシング界を長年見つめ続けてきた原田さんが、真に強いと認めた王者は誰なのか。13回連続防衛の日本記録を持つ具志堅用高さん(66)か、たたき上げから世界の頂点に登り詰め、最後も世界王者のまま現役を退いた長谷川穂積さん(41)か、現役ならば強打で「モンスター」と呼ばれる井上尚弥選手(29)=大橋=か。思いを巡らせていると、思わぬ反応が返ってきた。…

この記事は有料記事です。

残り876文字(全文3007文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集