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ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に

源氏物語をはじめ日本の文学や文化の魅力を世界に紹介した故ドナルド・キーンさん。生誕100年を機に、膨大な英語の著作から、その言葉の意味を考えます

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ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に

/6 戦場に響いた友好のベートーベン

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1944年、ハワイ大学滞在時のドナルド・キーンさん(左)。当時の肩書は「海軍中尉」だった=ドナルド・キーン記念財団提供
1944年、ハワイ大学滞在時のドナルド・キーンさん(左)。当時の肩書は「海軍中尉」だった=ドナルド・キーン記念財団提供

 1943年9月。極寒のアリューシャン列島からハワイに戻ったドナルド・キーンさんは、それからの1年半、ホノルルで日本兵捕虜たちの尋問を続ける任務に当たった。これまで、主に文字の世界で触れてきた日本語が、会話として習得できる絶好のチャンスとなった。このころの思い出話を聞く限り、殺伐とした緊張感はなく、とても戦時中の出来事とは思えない。キーンさんは「ようやく出会えた日本人と生で接することが楽しくて仕方がない」という喜びにあふれていた。

The most vivid memories of my life in Hawaii during the war years are of the prisoners I interrogated.

(中略)

At first, however, most of the prisoners were not Japanese but Koreans. They had been conscripted into “patriotic labor corps" by the Japanese army, but extremely few of them entertained patriotic sentiments toward Japan. Unlike the Japanese, they saw no reason to die in combat, and, when they could, they became prisoners. They possessed very little military information, and the interrogation sessions usually drifted into conversations about the prisoner's family or work. Many were of the same age as I, and it was easy to become friends. I felt so enthusiastic about them that I started taking Korean lessons from a priest in Honolulu.…

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