連載

社説

社説は日々、論説委員が議論を交わして練り上げます。出来事のふり返りにも活用してください。

連載一覧

社説

文楽座命名150年 時代超え魅力引き継ごう

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷

 人形浄瑠璃を上演する芝居小屋が、大阪に「文楽座」の看板を掲げて150年となった。座主だった植村文楽軒の名にちなむ。

 太夫の語り、三味線、人形による芝居が一体となった人形浄瑠璃は、やがて「文楽」と呼ばれるようになった。

 義太夫節による人形浄瑠璃は17世紀後半、竹本義太夫が大坂・道頓堀で旗揚げした竹本座に始まる。豊竹座との競い合いで隆盛期を築いた。文楽座ができたころは、庶民が稽古(けいこ)事として親しむなど義太夫節の裾野が広がり、芸も洗練されていったという。

 とはいえ、この150年の道のりは平たんではなかった。

 経営不振に陥った植村家から、劇場などが松竹の前身である松竹(まつたけ)合名会社に売却され、戦前に黄金期を迎えた。しかし、内紛などで業績が低迷し、経営から撤退した。運営を引き継いだのが、1963年に国と大阪府・市などが設立した文楽協会だ。

 84年には大阪に国立文楽劇場が開場した。だが、苦境は続いた。2011年に市長に就任した橋下徹氏が補助金見直しを打ち出したことで、危機感が高まった。

 自助努力により、大阪では近年、年間約10万人の集客を維持してきたが、新型コロナウイルス禍が直撃した。高齢の観客も多く、客足の戻りは鈍い。

 古い大阪の言葉で語られる芸は、喜怒哀楽を豊かに表現する。人形の生きているような仕草や表情、三味線が音色で情景や心情を弾き分ける技も大きな魅力だ。

 初めはとっつきにくいかもしれないが、字幕表示など、理解を助ける工夫も凝らされている。

 08年には、能楽、歌舞伎と共に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界無形文化遺産に登録された。文楽を生んだ国で「食わず嫌い」はもったいない。

 課題は若いファンの育成だ。歌舞伎や能楽は、人気漫画の舞台化で観客の開拓に取り組んでいる。

 文楽も、人形遣いの若手技芸員が、通常にはない配役でベテランと共に舞台に立つ公演を企画し、クラウドファンディングも実施するなど魅力の発信に努めている。

 人類共有の宝を途絶えさせてはならない。地道な取り組みを応援し、次代へつなげていきたい。

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る

ニュース特集