スパルタ部活指導、私はやめた 甲子園優勝監督の黒歴史と再出発

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学生時代の思い出を語る東洋大姫路高校野球部監督の岡田龍生さん=大阪市北区で2022年5月19日、梅田麻衣子撮影
学生時代の思い出を語る東洋大姫路高校野球部監督の岡田龍生さん=大阪市北区で2022年5月19日、梅田麻衣子撮影

 東洋大姫路高校(兵庫県姫路市)野球部監督の岡田龍生(たつお)さん(61)は、甲子園で優勝経験もある高校野球のベテラン指導者だ。自身の高校時代を「練習が厳しく、楽しくなかった」と振り返るが、いざ自分が指導する立場になると「スパルタ」で部を率いた苦い経験がある。「あれは間違いだった」と語る岡田さん。なぜ指導法を変えることができたのか。【聞き手・隈元悠太】

野球が楽しくなかった高校生活

 子どもの頃からスポーツが大好きでした。母は、1950年代に女子プロ野球で活躍した元選手です。その手ほどきで2歳から野球を始め、小学6年で軟式野球の全国大会に出場しました。

 中学に進み、担任の教諭からバレーボール部に誘われました。担任がバレー部の顧問だったんです。入学して数カ月間は野球部も掛け持ちしていましたが、その後はバレー1本に絞りました。主将を務めた3年の夏には大阪府で3位に。高校でもバレーを続けるつもりでしたが、身長が伸びずに断念しました。

 気持ちを野球に切り替え、毎年のように甲子園に出ていた東洋大姫路に入学しました。中学時代は野球からほぼ遠ざかっていたのに「1回は甲子園に行けるやろ」と。そんな甘い考えでしたが、野球部に入ってから後悔しました。

 365日のうち360日が練習と厳しく、当時はナイター設備もなかったため暗くなったら走り込みやウサギ跳び……。それがつらくて、妙に脳裏に残っています。「しょうゆを一気飲みしたら、高熱が出て練習を休めるんやないか」。実行はしませんでしたけど、そんなことばかり考えていました。

 スパルタ指導でチ…

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