親子2代で立った都市対抗の決勝 「佐藤家」の社会人野球物語
- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

身長180センチ台の大きな背中は、よく似ている。「今、こうして野球を続けているのも父のおかげ。感謝しています」。社会人野球で育った父と、その道をいま歩む息子。アマチュア野球最高峰の都市対抗野球大会で輝いた2人の物語を紹介しよう。
父も子も準決勝で本塁打
2020年の都市対抗野球大会で、Hondaの外野手、佐藤竜彦(27)は首位打者賞を獲得し、チームの3回目の優勝に貢献した。父は、ヤクルトの佐藤真一・外野守備走塁コーチ(56)だ。2人が考える社会人野球とは何か。
「プロに入るのはタイミングがあって、早く来すぎてもダメな時があります。社会人でも野球の技術は十分成長できるし、会社に行くことで間違いなく視野は広がります」と佐藤コーチ。竜彦も「対戦相手も含めて人間関係が広がるし、都市対抗の緊張感の中でプレーできるのは幸せなこと」と話す。
北海道出身の佐藤コーチは、東海大四高から東海大に進んだ。大学卒業後は地元に戻り、北海道拓殖銀行に入行。都市対抗準優勝1回、日本選手権優勝1回を誇る野球部に入り、都市対抗には補強選手も含めて5度出場した。
会社では「銀行員」として顧客対応の業務に従事した。2年目からは本店営業部で当座預金担当として窓口に座った。「難しい対応が必要になったら、『担当の者と代わります』と言って、ひっこんでいました」と笑う。普段ともに仕事をする仲間からの応援も、活躍の原動力になった。
日本代表の強打者として1992年のバルセロナ・オリンピックで銅メダル獲得に貢献すると、その年の秋にダイエー(現ソフトバンク)からドラフト4位指名を受け、27歳で入団。プロ2年目に生まれたのが長男、竜彦だ。
「野球をやれと言った覚えもないし、自分が好きで少年野球を始めたんですよ」と佐藤コーチ。竜彦は父の活…
この記事は有料記事です。
残り1461文字(全文2214文字)