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想像してみてほしい。自宅に帰ったとき、郵便受けに見知らぬ行政書士からの茶封筒が届いていたら、あなたは何を思うだろう。何かの懸賞に当選したとか、遠戚が亡くなって土地の相続話が転がり込むのでは、などと考える人はまずいない。「見知らぬ行政書士/茶封筒」ならば、まず「あまり良くない話」を想像するはずだ。送達の記録が残せる「特定記録」という朱色のハンコが押されていたらなおさらだろう。
2021年7月16日金曜日の夕刻。神奈川県横須賀市で福祉事業などを手掛ける会社「番(つがい)」の社長、今澤明彦さん(49)は帰宅して、まさにそんな茶封筒を自宅玄関の郵便受けで見つけた。そして当然のように、「何か良くない話」を想像した。会社経営をしていると、法律上の「まずい話」はいくつかすぐに思いつく。家族はそのとき、誰も家にいなかった。気が進まないままひとり自分の部屋の机の上で開封した。内容は意外にも、「父親」に関する知らせであった。40年間、まったく会ったことのない父がいま、ホスピスにいる――。
たぶん8歳のころだった。今澤さんはおぼろげな記憶をたどった。そのころ、両親が離婚した。「あなたを守るために」と母から聞いたような記憶がある。それ以上のことは聞くのがはばかられる雰囲気が、母にはあった。以後、自分には、父の存在はなかった。名字はそのまま。だけど、当時、クラスの連絡帳の連絡先保護者名が母親の名前に変わっていた。目ざとくそれを発見した同級生から冷やかされた。「お前のうちの父さんはどうしたんだよ!」。子供の世界は残酷だった。そんなささいなことをいまも忘れずに覚えているのは、当時、小学校低学年だった今澤さんが深く傷ついていたからなのだろう。
あれから40年。まったく会うこともなかった父親が、いま、死の淵にいるという。行政書士、小林浩悦さん(69)からの手紙はこんな文面だった。
<私はご尊父今澤稔様の生前事務および死後事務を受任している行政書士で社会福祉士です。今澤稔様は横須賀市内の病院のホスピスに入院されています。ご病状は深刻な状況なので、いちどお会いしてお話ししたいことがあります。ぜひ、連絡をいただけませんか>
どうしたら、いいのか――。今澤さんの気持ちは揺れた。
夫婦は別れてしまえば赤の他人になる。だが、親子はいつまでたっても親子である。顔もよく覚えていないほど長い間会うことがなかった関係でも、遺産があれば相続金が転がり込んでくる。一方、もし借金などがあれば、遺産と一緒に負債の相続もしなければならない。相殺して負債の方が多くなることがないとはいえない。そして何よりもまず、世間の「常識」として子は親の葬儀をさせられるし、墓も決める必要がある。そのほか親が病院にいた場合には退院に関する諸手続き、住宅を持っていた場合はその処分、遺品整理など、さまざまな雑事、煩わしいことがふりかかってくる。親が再婚し子がいたら、事態はさらに複雑になってくる。
こうした金銭的、精神的な煩雑さを避けるためなのだろう。1人暮らしで死亡した人がのちに身元が判明しても、子や親戚が遺骨を引き取らないケースが増えている。昔から、名前も住所もわからない行き倒れの人、法律用語でいう「行旅死亡人」は一定程度いた。だが1990年代以降、名前や住所が判明していて身内もある程度わかっていても、火葬後の遺骨は引き取り手がいないのだ。全国に共通する問題だが、横須賀市の福祉担当者がこの問題にずっと取り組んできたからデータもそろっている。それによると、「引き取り手のない遺骨」は戦後はほとんどゼロに近かったのが、戦後50年をすぎて「家族関係の希薄化」が言われ始めた90年代以降、つまり平成期になって、増え始めたという。08年のリーマン・ショック以降に急増して一時年間50柱を超えたこともあったことをみれば、この「引き取り手のない遺骨」急増の要因には家族関係の希薄化と同時に、経済格差の広がりも挙げられるかもしれない。
さて、行政書士の手紙を読んだ今澤さんである。
まず驚いたのは、父が「横須賀市内のホスピスにいる」という事実だった。両親の離婚後、今澤さん自身はいくつか別のまちに引っ越したが、父親の稔さんは、同じ横須賀市の「野比」という地域に住み続けていた。今澤さんはこの地にたまたま戻ってきたのだが、同じ生活圏にありながら、まったく出会わなかった。
電鉄会社の工場に勤めてはいたけれど、酒癖が悪い父だったという。いつも夫婦げんかをしていた。記憶をたぐっても、思い出せる父との場面はほんの二つ、三つのみ。酒を飲んで帰ってきて、相撲をとろうといわれて、組んだはいいが思いっきり投げ飛ばされたこと。手加減はなかった。あとは釣りに連れていかれて、なぜだろう、キレて、目の前で釣りざおをバキッと真っ二つに折ったこと。そんな人がまともな人生を送っているわけがない。今澤さんはまずそう考えた。40年たって、自分は会社を経営する立場になった。父親は……死の淵にいる父親は、いったいどんなすさんだ生活を送ってきたのか……。
ふつうなら、茶封筒に書かれていた行政書士の要求は無視してもいいケースかもしれない。実際、同様の任意後見の事例をたくさん受任してきた行政書士の小林さんは、亡くなった親のことで身元が判明した子供たちにていねいに手紙を書いても苦い経験ばかりしている。娘から電話がかかってきたのはいいが「何ですか、何の用ですか。おカネの話ですか」とぶしつけに言われたり、息子と娘の計3人が連名で署名押印し「よろしくおはからいください」とだけ書いた返信が届いたり。親と疎遠だった世の人は、かかわりたくないのが人情なのだ。
だが、今澤さんは違った。会おう、と決めた。小林さんに電話を入れたとき、小林さんがこう言ったからだ。
「お父さんは『息子に会いたい』って、おっしゃってるんですよ」
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