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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「体をむしばみ続けるのが原爆」 非核訴え続ける家島昌志さん

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非核への思いを語る家島昌志さん。「あんな悲惨な兵器を残してはいけない」と言う=東京都中野区で2022年5月10日、北山夏帆撮影
非核への思いを語る家島昌志さん。「あんな悲惨な兵器を残してはいけない」と言う=東京都中野区で2022年5月10日、北山夏帆撮影

 西の方に見える山が真っ赤に燃える光景だけをぼんやりと覚えている。「自分自身の記憶はほとんどない」と家島昌志さん(80)=東京都中野区=は言う。広島に原子爆弾が落とされ、被爆したのは3歳の時だ。閃光(せんこう)も爆風も、体を焼かれた人と遺体であふれかえった街も見ていない。だが後年、自分も父もがんに侵され、被爆者であることを何度も痛感した。「後々まで体をむしばみ続けるのが原爆、放射能ですよ」。だから訴え続ける。核のない世界を。

 あの日に無傷で済んだのは「奇跡だ」と後に言われた。1945年8月6日朝、牛田(現在の広島市東区)の2階建ての自宅にいた。広島逓信局の職員だった父忠明さんは、職場での夜警を終えて早朝に帰宅し、仮眠中だった。母トメ子さん(2008年に94歳で死去)は玄関横の部屋に、生後10カ月だった妹は奥の部屋で寝かされていた。自身は玄関の内側で遊んでいたらしい。爆心地から2・5キロ。爆風は家中の窓ガラスを吹き飛ば…

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【広島・長崎原爆】

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