オザケンに圧倒された国際政治学者 新宿の居酒屋談議から道開く

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篠田英朗さん=本人提供
篠田英朗さん=本人提供

 ロシアのウクライナ侵攻を受け、メディアで国際情勢を論じる学者を見ない日はなくなった。東京外国語大大学院教授の篠田英朗さん(53)もそんな論客の一人で、平和構築の政策では国内屈指の専門家だ。学者の道を志したきっかけを尋ねてみると、意外にも新宿での居酒屋談議にあるのだという。【聞き手・国本愛/東京社会部】

「人には才能があるんだ」

 小学生の頃、ロック歌手の矢沢永吉さんの自伝「成りあがり」を読んで衝撃を受けました。(広島原爆の)被爆2世ゆえの社会への強い怒りや、「大人は分かってくれない」というようなメッセージが、子どもながら胸に刺さったのです。社会的には不遇の環境で育ちながら、音楽で人生を豊かにしていく矢沢さんの姿に、自然と自分もミュージシャンになり、社会性のあるメッセージを届けたいと思うようになりました。

 中学1年でギターを始め、作詞作曲をするため、面白いと思ったこと、面白くなかったことなどを心のままに殴り書きする「自分ノート」もつけ始めました。憧れは、反戦などを歌っていた世界的ロックバンド「U2」のボーカルであるボノでした。私の父親は弁護士だったので、自宅の電話で、夜通し依頼者の悩みに応じる姿も見ていました。単なる自己表現ではなく、音楽で社会問題に取り組みたいという気持ちが大きかったのです。

 ところが、高校で入部した軽音楽部で、大きな挫折をしました。後にシンガー・ソングライターになる小沢健二さんが、同学年として一緒に入ってきたのです。彼に出会うまではミュージシャンを目指すことに疑問を抱いたことがありませんでした。しかし、初めて「人には才能があるんだ」と知りました。

 小沢さんがギターを弾くと…

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