太宰治が描いた終戦後の若者の苦悩 「トカトントン」を読み解く/上

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東京・銀座の行きつけのバー「ルパン」でくつろぐ太宰治=1946年、林忠彦撮影
東京・銀座の行きつけのバー「ルパン」でくつろぐ太宰治=1946年、林忠彦撮影

 6月19日は作家、太宰治(1909~48年)の誕生日だ。そして、入水自殺した太宰の遺体が見つかった日でもある。戦争にまつわる傑作を取り上げる本連載、今回は太宰晩年の短編小説である「トカトントン」(新潮文庫「ヴィヨンの妻」などに収録)を取り上げる。戦闘は終わっても、戦争は続く。そんな「未完の戦争」の実相を教えてくれる作品である。【栗原俊雄】

(「トカトントン」を読み解く・中はこちら

 物語は26歳の青年である「私」が、「某作家」に出した長い手紙と作家の短い返信で構成されている。

 「私」は青森市出身で、この作家の愛読者。軍需工場で事務員をした後に軍に入り、千葉県の海岸で陣地構築をしていた。45年8月15日正午。ラジオ放送で昭和天皇の「玉音放送」を聞かされ、敗戦を知る。上官の若い中尉は抗戦を続けて、最後は一人残らず自決して天皇にわびる決意を語り、部下たちにもその覚悟を迫る。中尉は泣き、厳粛な雰囲気の中で青年は立ち尽くす。自分も死のう、と決意する。

 <ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何なる感慨も、何も一つも有りませんでした>

 自決しようという気持ちは、脳髄にしみついてい…

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