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太平洋戦争の末期、千葉市の中心市街地は繰り返し米軍の空襲を受け、多くの犠牲者が出た。一連の「千葉空襲」の被害を語り継ぐ「千葉市平和のための戦争展 ピースフェア2022in千葉」が22~26日、同市中央区の複合施設「きぼーる」で開かれる。2021年に引き続き、犠牲者の名前を一人ずつ読み上げることにしており、主催者は読み手を募集している。【真田祐里】
千葉市は戦時中、数回の空襲を受けた。1945年6月10日朝と7月7日未明の空襲は特に被害が大きく、焼夷(しょうい)弾などで中心市街地の約7割に当たる231ヘクタールが焼け野原となった。総務省によると、この2回の空襲だけで1595人が死傷し、被災者は4万1000人以上に上った。
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