「論破」の暴力、どうなん? せやろがいおじさんと考える/上
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トレードマークの赤いふんどしを締め、世の中の気になる政治や社会の問題に早口で鋭く切り込む。動画投稿サイト「ユーチューブ」を駆使するお笑い芸人「せやろがいおじさん」こと榎森(えもり)耕助さん(34)は、歯切れの良さで人気だが、一方で「論破」をもてはやす風潮には違和感があるという。今の社会の息苦しさをどう考えるか。ユーチューバー僧侶、小池陽人さん(35)とオンラインで対談してもらうと、「自分と違う正義」や「間違い」との向き合い方……といった、考えるポイントが浮かんできた。【構成・花澤茂人】
(今回の記事は前編。後編は26日午前7時半に公開します)
「違う正義」にも耳を
小池 年齢も近く、私が大学時代を過ごした奈良県のご出身ということもあって親近感を抱いています。政治や社会問題について積極的に発信している榎森さんですが、一方で聞くこと、対話することの大切さを重視されています。著書の「せやろがい!ではおさまらない」に書かれていた「ドッジボールではなく、キャッチボールを」という例えがすごく大事だと思いました。一方的に発信するのではなくて、相手の意見を受け入れる余白を常に意識されていますね。
榎森 完璧な意見なんてこの世には存在しないと思っていますし、ましてや僕の言うことがすべての要素を網羅しているなんて毛頭思いません。そりゃどこかに足りないところもあるだろう、という気持ちでやっています。
小池 昨今、「論破する」という言葉がはやっています。とにかく正論をぶつけて相手を言い負かす。カスタマーハラスメントという言葉もありますが、店員さんの少しのミスに徹底的に正論を振りかざして土…
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