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「お峯山(むねやま)」とも呼ばれている神社の創始は明らかではありませんが、806(大同元)年の「新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)」に名が初めて登場し、これ以前の創建とされます。平安時代の「延喜式神名帳(じんみょうちょう)」では式内大社に登載されました。
江戸時代に刊行された「大和名所図会(ずえ)」には「昔山麓(さんろく)にあり、今山頂に移す」とあって、室町時代後期に畝傍山西側山麓から山頂に移されました。
約400年たった1940(昭和15)年の皇紀2600年祭で、東麓の神武天皇陵を見下ろす場所は好ましくないと、再度、西麓に移されました。
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