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戦国武将・織田信長の最愛の女性、吉乃(きつの)の墓がある久昌寺(きゅうしょうじ、愛知県江南市)。2021年夏に廃寺が明らかになると歴史ファンらは惜しんだのだが、思わぬ展開が待ち受けていた。5月に解体工事が始まってから、市が突如として「貴重な文化財かもしれないので調査する」と言い出したのだ。場当たり的な対応が批判を浴び、人口10万人に満たない小都市を揺るがす騒動に。信長ゆかりの寺は結局どうなったのか。
江南市史などによると、吉乃は地元有力者だった生駒氏の娘。寺は1384年創立で生駒家の菩提(ぼだい)寺にあたる。
吉乃は生駒家の屋敷で暮らしていた時に信長と出会い、側室となる。後に岐阜城主となった長男信忠、次男信雄、徳川家康の長男信康の妻となった徳姫をもうけたとされる。信長は正室、濃姫との間に子どもがなく、吉乃は存在感があったようだ。
若くして亡くなり、冷酷非情で戦好きとされる信長がその死に涙したと伝わる。信長は香華料として660石を寺に与えたという。
現在の本堂は1925年に建てられた。庫裏は不明だが、江戸期の建立とみられる。本堂内には吉乃や信長の位牌(いはい)が置かれ、本堂西側にある吉乃の墓は歴代当主の墓と共に市の文化財に指定されている。墓は取り壊し対象ではなく、そのまま残される。
所有する宗教法人の役員で19代当主の生駒英夫さん(48)によると、寺は曹洞宗総本山総持寺の直接の末寺。高僧でないと住職になれず、約60年前から常駐の住職はいない。
戦後の農地改革などで収入源を奪われて困窮。近隣に久昌寺の末寺が八つあるため周辺から新たに檀家(だんか)を募るわけにもいかず、寺院経営は立ちゆかなくなった。
そんな中、11年に東日本大震災が起き、江南市から本堂の耐震化を求められた。庫裏も雨漏りしていて改修が必要だったが、資金がなかった。企業や他の宗教法人に寺の運営を打診しても、引き取り先は見つからなかった。
クラウドファンディングも考えたが、「お金だけの支援を受けられても持続可能な寺院経営はできない。廃寺せざるを得なかった」と話す。
一方、…
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