国内最大の古墳、キミの名は? 世界遺産登録3年を機に考えた

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
百舌鳥古墳群の大山古墳(手前)。右奥は百舌鳥陵山古墳=堺市で2019年6月6日、本社ヘリから山崎一輝撮影
百舌鳥古墳群の大山古墳(手前)。右奥は百舌鳥陵山古墳=堺市で2019年6月6日、本社ヘリから山崎一輝撮影

 国内最大の前方後円墳といえば堺市の「仁徳天皇陵」と覚えている人も多いかもしれない。しかし歴史学や考古学の研究者たちがその名称で呼ぶことはほとんどない。「天皇の墓」とされる古墳をどう呼ぶかはおよそ半世紀前から議論が進み、近年は教科書でもかつての「仁徳陵」が「大山(大仙)古墳」と記述されるなど、地名による名称が用いられるようになってきた。ただ、世界に向けては今も「仁徳天皇」の名が発信され続けているという。どういうことか。この「名称問題」を喫緊の課題と考えている京都大の高木博志教授(近代史)に整理してもらった。

不正確な陵墓指定

 2019年7月6日、大山古墳など49基の古墳を構成資産とする大阪府の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」が、ユネスコの世界文化遺産に登録されることが決まった。うち29基は歴代天皇や皇族などの墓である「陵墓」として宮内庁が管理している。その中でも中心的な8基が、宮内庁の治定(じじょう=指定)に沿う形で「仁徳天皇陵古墳」「履中天皇陵古墳」といった名称で登録された。

 しかし、それらの古墳に実際に誰が埋葬されたのか、学術的にははっきりしていない。宮内庁が用いる名称は、幕末から明治時代にかけ古代の文献や地域の伝承を参考に決められたが、その後およそ150年の学問の進歩によって否定されているケースが少なくない。例えば宮内庁は太田茶臼山古墳(大阪府茨木市)を「継体天皇陵」としているが、研究者らの間では今城塚(いましろづか)古墳(同府高槻市)が本当の墓だと考えられている。百舌鳥古墳群でも、見つかった埴輪(はにわ)などの編年によって百舌鳥陵山(もずみささぎやま)古墳(履中天皇陵、堺市)、誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神天皇陵、同府羽曳野市)、大山古墳の順に築かれたとみられている。これは応神、仁徳、履中という天皇の系譜の順と矛盾する。

研究者らの懸念

 研究者らは長年、…

この記事は有料記事です。

残り1802文字(全文2605文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集