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「列島改造」実現へ 異例の秘書官続投 田中角栄首相就任50年/中

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1972年7月7日に発足した第1次田中角栄内閣。田中首相(前列中央)を挟み、右は大平正芳外相、左は三木武夫国務相。後列右が首相と同じ新潟県出身の稲葉修文相
1972年7月7日に発足した第1次田中角栄内閣。田中首相(前列中央)を挟み、右は大平正芳外相、左は三木武夫国務相。後列右が首相と同じ新潟県出身の稲葉修文相

 自民党総裁選から一夜明けた1972年7月6日。臨時国会での首相指名選挙で、角栄氏は戦後最年少(当時)の54歳で第64代首相に選ばれた。通産相秘書官として残務整理に追われていた小長啓一氏(91)は「テレビにかじりつく感じで見ていた」と、遠い記憶をたどった。

「すまんが君、やってくれ」

 翌7日。高らかに掲げた「決断と実行」のキャッチフレーズとともに第1次田中内閣が発足した。約4年後のロッキード事件の際、三木武夫内閣の法相として角栄氏の逮捕にゴーサインを出す新潟県村上市出身の稲葉修氏も、文相として入閣した。首相在任期間886日の幕開けだった。「何の気なしにテレビを見た」。首相就任当日をそう振り返る馬場潤一郎氏(81)が、県議に就き、角栄氏との出会いを果たすのはまだ先のことだ。

 組閣を終えた直後、角栄氏は通産省官房長に電話をかけた。小長氏の部屋の電話が鳴った。聞こえてきたのは官房長の声。「これは私の命令じゃないよ。俺と一緒に首相官邸へ行ってくれ」

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