空き家に1800万円… 松本明子さん「実家じまい」のしくじり

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「実家の片付けは早めに」と語る松本明子さん=東京都千代田区で2022年6月10日午後5時12分、大野友嘉子撮影
「実家の片付けは早めに」と語る松本明子さん=東京都千代田区で2022年6月10日午後5時12分、大野友嘉子撮影

 親が亡くなった後、家や墓はどうすればいいのか。頭を抱え、心配する人も少なくないだろう。タレントの松本明子さん(56)は、両親から相続した家を25年間、空き家にしたまま維持費を払い続けた。その額なんと約1800万円。実家を売却するまで暗中模索したエピソードをつづった著書「実家じまい終わらせました!」(祥伝社)を2022年6月に出版した。「読んだ方が明るく、無駄なく相続を進められるよう、私の『しくじり』を役立ててもらえたらうれしいです」【大野友嘉子】

「明子、実家を頼む」

 「父の遺言が肩にずっしり乗っていました。どうすればいいのか答えをだせないまま、気がついたら1800万円も実家につぎ込んでいました」

 松本さんの実家は高松市の山間部に建っていた。松本さんが6歳だった1972年、建設会社の社員だった父親が土地代込みで約3000万円で建てた。「総ヒノキ造りの平屋で、宮大工による木組みというこだわり抜いた家でした。『くぎを一本も使ってないんだぞ』というのが父の自慢でした」

 市街地と瀬戸内海が一望できる絶景スポットでもあった。

 10歳上の兄は、家が建ってから3年ほどして東京で就職した。松本さんも芸能界を目指して中学卒業後に上京。83年に17歳で歌手デビューし、ものまねやバラエティー番組の司会などで人気を博し、「バラドル(バラエティーアイドル)」のパイオニアとなった。

 華やかな世界で活躍しつつ、親孝行も忘れなかった。27歳の時、松本さんは60代半ばを過ぎた両親を東京に呼び寄せた。都内で親子3人暮らしを始めたが、しばらくして父親にこう言われた。

 「高松の家を継いでほしい」

 松本さんの兄はすでにマイホームを手に入れていた。松本さんの東京での芸能生活も順調で、誰も高松に帰る予定はなかった。しかし、地元にはこだわり抜いて建てた家もあったし、先祖代々の墓もあった。

 「両親は、私が浮き沈みの激しい芸能界で食べていけなくなった時のことを考え、住む場所をとっておきたかったようです」

 松本さんに家を継がせたいという父親の思いは強く、2003年に亡くなる直前にも「明子、実家を頼む」と言い残したという。

かさむ維持費が重荷に

 父親の最期の願いを受け入れるつもりだった。

 だが、現実は厳しかった。固定資産税、火災保険、空気の入れ替えのための年数回の帰省費、光熱費、不在時の庭の手入れにかかる人件費……。

 維持費は年間約37万円かかった。

 「父の遺言には、ありがたさと重荷の半々の気持ちでした」

 それでも、しばらくは実家を残そうとした。

 11年には約350万円をかけてリフォーム。東日本大震災を機に、東京で災害が起きたら実家を避難場所にしようと考え、トイレや風呂などを全面改修し、和室をフローリングに変えたという。

 そんな松本さんが「実家じまい」を決意したのは、母親が亡くなって10年たった17年のことだった。

 親の家の片付けの大変さを取り上げたテレビ番組に出演したことがきっかけだった。

 「父には怒られるかもしれないけど、子や孫にまで負担をかけられないと思うようになりました」

査定額にあぜん

 売却と賃貸を視野に、少しでもきれいな状態にしようと再び約250万円をかけてリフォームを行った。だが、不動産屋が出した査定額にあぜんとした。

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