書くことは「生きる練習」 4歳半のしんじくんに救われた小説家

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
新刊『書こうとしない「かく」教室』(ミシマ社)は「たまたま自叙伝みたいになった」と語る作家のいしいしんじさん=京都市で2022年6月6日、清水有香撮影
新刊『書こうとしない「かく」教室』(ミシマ社)は「たまたま自叙伝みたいになった」と語る作家のいしいしんじさん=京都市で2022年6月6日、清水有香撮影

 30歳を過ぎて心も体もボロボロになった時、幼い頃に自ら描いた「おはなし」が救いになった。以来、その「続き」を書くように小説を発表してきた。書くことで「生きることの練習をやっていた」。そう語る作家がいる。「源氏物語」の新訳から新聞紙上での人生相談まで幅広く活躍する、いしいしんじさん(56)。半生を振り返る“自叙伝”となった新刊『書こうとしない「かく」教室』(ミシマ社)には、自身の病や大切な人の死など自作をめぐる数奇な体験談がひしめき、それ自体小説のような仕上がりだ。

 2000年に発表した初の長編『ぶらんこ乗り』では、語り手の女子高生の回想が「つくり話の天才」だった亡き弟のノートを介して紡がれる。ノートの中の一編「たいふう」は、台風で吹き飛ばされた「ぎょそん」に一人生き残った男の話。それこそが「4歳半のしんじくん」が作った物語であり、書くことの喜びに「目が覚めた」自身の原点だという。

生きている実感なかった

 いしいさんは京都大卒業後、リクルートに入社し、1989年に東京へ。「東京というお祭りにのっかって、ただ日々が過ぎていく。ちぎっては投げ、ちぎっては投げみたいな時間の中にいて、生きることにあまり興味がなかった」。会社員生活は長く続かず、退社後は雑誌のコラムなどを書いて生計を立てた。

 生きている実感がなかった当時、抱えていた違和感を<自分と世のなかとの境界がかゆい>と本書で表現する。毎日ノートを開き、「その違和感をごまかすためにかいていた」。やがてぜんそくやアトピー性皮膚炎を発症。家から一歩も出られなくなり「離人症」と診断され、90年代末に療養のため大阪の実家に戻った。そこで再会したのが、…

この記事は有料記事です。

残り1870文字(全文2574文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集