安倍氏の前例、吉田茂氏国葬も根拠法なく 「ある葬儀」を参考に

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国葬の内容を克明に記した「故吉田茂国葬儀記録」=国立公文書館所蔵
国葬の内容を克明に記した「故吉田茂国葬儀記録」=国立公文書館所蔵

 政府は7月、安倍晋三元首相の国葬を9月27日に行うことを閣議決定し、内閣府に「国葬儀事務局」を設置して準備を進めている。首相経験者の国葬は戦後2例目で、55年前の吉田茂元首相以来となる。吉田氏の国葬は今回の重要な前例となる。公文書をひもとくと、根拠法がない中で急いで開催にこぎつけた様子がうかがえる。葬儀当日は午後に仕事や学校を休み、「弔意」を表すよう国民に求めていた。そして、実は過去のある葬儀を参考にしていた。

 吉田氏の国葬は、内閣官房が編集した「故吉田茂国葬儀記録」(286ページ)にまとめられている。吉田氏は通算7年にわたり政権を率いて戦後復興の礎を築き、89歳で死去した。国葬は1967年10月31日に、日本武道館(東京都千代田区)で開かれた。安倍氏の国葬も同じ会場だ。葬儀委員長は当時の佐藤栄作首相で、吉田氏とは師弟関係にあった。佐藤氏が「吉田先生、あなたはワンマンと言われ、ときには妥協を知らぬ人と言われました。しかし、何者にもまして祖国日本を愛しておられました」などと追悼の辞を述べたことも記されている。

 当時の皇太子や同妃、各界の代表者ら約6000人、72カ国の使節団など、一般国民も含めて計約4万5000人が参列した。警備は約8000人態勢で、神奈川県大磯町の吉田氏の自宅から会場まで車列が通る沿道には約17万人が集まったという。費用は全額が国費で、約1800万円を予備費から支出した。

 文書には、国葬に決まった経緯も詳しく書かれている。吉田氏は10月20日に自宅で死去した。政府は翌21日の協議で早くも国葬の実施を内定し、23日に閣議決定した。

 国葬について定めていた国葬令(1926年公布)は戦後、現行憲法の施行で政教分離の観点から廃止された。このため「法律的にも制度上にも国葬についての規定がないので、国葬儀に踏み切るまでには、あらゆる角度からその是非が検討」されたと明記されている。

 そのうえで、ある皇室の葬儀に触れている。51年6月に事実上の…

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