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「帰りたい」新幹線見て泣いた 阪神・湯浅 オールスター戦/1

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【阪神-巨人】力投する阪神の2番手・湯浅京己投手=阪神甲子園球場で2022年5月21日、中川祐一撮影
【阪神-巨人】力投する阪神の2番手・湯浅京己投手=阪神甲子園球場で2022年5月21日、中川祐一撮影

 プロ野球・阪神の湯浅京己(あつき)投手(23)が、26日からのオールスター戦にセ・リーグ中継ぎ部門のファン投票最多得票で初選出された。独立リーグ・富山出身の4年目で、国内独立リーグを経て選ばれる日本選手は初めて。幾度もけがを乗り越え、球宴の舞台をつかんだ右腕。その道のりには、温かく見守ってくれた人たちの存在があった。

 黒潮がもたらす温暖な気候と雨により漁業、林業で栄えてきた三重県尾鷲市に生まれた。社会人野球「昭和コンクリート」でプレーした父栄一さん(50)の影響も受け、小さい頃から野球道具があれば他に何もいらない、外で遊ぶのが大好きな子だった。

 現在は183センチの長身だが、子どもの頃はなかなか背が伸びなかった。焦る息子に対し、母衣子さん(50)は「成長期が来たら絶対足は速くなるし、力もつくから大丈夫」と言い続け、無理をさせなかった。プロ入りした今は、オフシーズンになると地元の子どもたちに「今はできんことも、成長期来たらできるで」と自らの経験を伝えている。

 関東で大学時代を過ごした両親は元々、「広い世界を早くから見てほしい」と関東の高校へ進学することを望んでいたが、湯浅投手は小学校の時の講演で聞いた福島・聖光学院高の「元気があって礼儀正しく、人間的に成長できる学校」という話が印象に残っていて、自ら進学先として選んだ。

 しかし入学早々、腰の成長痛で練習ができなくなった。さらに快方に向かっていた秋に、遠征で長時間バスに乗ったことで歩けないぐらいの痛みが出て状態は悪化した。

 年が明けた頃、野球部長から「マネジャーにならないか」と提案された。部長にはチームメートと関わる時間を増やして「居場所」を作ってあげたい思いがあったが、湯浅投手はすぐに返事できなかった。自分の知る限り、マネジャーになって選手で復帰した人はいなかったからだ。

 結局、回復すれば選手に復帰できることを条件にマネジャーになることを決めたが、仲の良いマネジャーからは「なんで引き受けたんや」とすごく怒られたという。

 「俺は絶対戻る」。そう思ったはずだったが、…

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