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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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「ここで卒園したかった」 大熊町の元園児、11年ぶりに学びや訪問

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開放された大野幼稚園で自身の描いた絵を見つめる渡部彩花さん(左)。右は母真由美さん=福島県大熊町で2022年7月28日午前10時24分、渡部直樹撮影
開放された大野幼稚園で自身の描いた絵を見つめる渡部彩花さん(左)。右は母真由美さん=福島県大熊町で2022年7月28日午前10時24分、渡部直樹撮影

 東京電力福島第1原発が立地する福島県大熊町で28日、町立大野幼稚園のかつての園舎が2011年3月の原発事故後、初めて開放された。幼稚園の一帯は帰還困難区域として長らく立ち入りが制限され、今年6月に避難指示が解除された。園舎は既に解体が決まっている。元園児らは11年ぶりに訪れた学びやで往時を懐かしみ、思いを巡らせた。

 園舎は原発の6キロ西側。保護者が私物を持ち帰るなどの理由で開放を求め、28~30日の日程で実現した。

東日本大震災以前の大野幼稚園。園庭の真ん中でサクラが咲き誇っている=福島県大熊町立大野幼稚園提供
東日本大震災以前の大野幼稚園。園庭の真ん中でサクラが咲き誇っている=福島県大熊町立大野幼稚園提供

 幼稚園によると、東日本大震災が発生した当時は園児196人のうち、預かり保育の約60人が残っていた。教職員は怖がる園児を抱きしめて教職員の車の中で保護者の迎えを待った。原発事故が起こると、園児らは県内外に離散。園舎は野生動物に荒らされて風雨にさらされ、遊具が置かれた園庭は草木に覆われた。

 開放に先立ち、色あせた布団が敷かれた遊戯室など、園舎の一部は東電社員が整頓した。一方で園児が出入りしていた部屋の多くはそのまま開放された。

かつて大野幼稚園の園児たちが寝ていた遊戯室。11年間放置された布団は今回の開放に先立ち片付けられた=福島県大熊町で2022年7月25日午後1時38分、尾崎修二撮影
かつて大野幼稚園の園児たちが寝ていた遊戯室。11年間放置された布団は今回の開放に先立ち片付けられた=福島県大熊町で2022年7月25日午後1時38分、尾崎修二撮影

 避難先の福島県いわき市から母親の真由美さん(46)とともに訪れた高校3年、渡部彩花(さやか)さん(17)は卒園の1週間前に被災した。泣きながら家族と町を離れ、その後会えていない友人も大勢いる。卒園証書は後ほど園外で受け取った。

 この日はかつての楽しかった記憶をたどり、仲良しの子と駆け回った園庭や皆でついた餅を食べた遊戯室を巡った。自分の名前が入った小さな上履きや自由帳、笑う友人や担任と写る自分の写真を見つけた。「ここで卒園したかった。壊されるのはさびしい。『ありがとう』と言いたいです」

 1972年5月開園の大野幼稚園はのどかな農村地帯にあり、園庭にはサクラやイチョウが植わっていた。秋の遠足は、町特産の梨狩りが定番だった。

 原発事故後、大野幼稚園は11年4月に県内で約90キロ西の会津若松市に移り、別の幼稚園と合同で活動を再開。現在の園児は2人で、今年度末に閉園する。町内では別の地域に町立の認定こども園が新設されるため、かつての園舎は園児の歓声が戻ることなく9月以降、解体される。【尾崎修二】

【東日本大震災】

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