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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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放射能被害どこまで 爆心地から37キロの島原半島にも「死の灰」

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島原半島の長崎県旧北有馬村で灰をかぶった体験を語った後、疲れたようにベッドに横たわる五島久嗣さん=長崎市で2022年7月4日午後3時17分、樋口岳大撮影
島原半島の長崎県旧北有馬村で灰をかぶった体験を語った後、疲れたようにベッドに横たわる五島久嗣さん=長崎市で2022年7月4日午後3時17分、樋口岳大撮影

 「白と黒のすすの混じった燃えかすのようなものが、空からどんどん降ってきた」。長崎市の老人ホームで暮らす五島久嗣(ひさし)さん(86)が、あの日の記憶をたどり始めた。長崎に原爆が投下された時、9歳の五島さんがいたのは長崎の爆心地から南東約37キロの島原半島、長崎県旧北有馬村(現南島原市)。長崎原爆の爆発によって生じた放射性物質は国が指定する援護区域を越え、どこまで拡散したのか。原爆投下から77年たった今も明らかになっていない。

 1945年8月9日、五島さんは長崎市内の自宅から北有馬村の父の実家に疎開していた。「バンバンバーン」。裏山に爆弾が落ちたような音がしたためびっくりして外に飛び出した。何も起きていなかったが、しばらくして空から灰が降ってきた。「何だろう」。不思議に思い、2歳上の兄と外に出て…

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【広島・長崎原爆】

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