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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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被爆2世の思いを胸に イタリア出身の小6「平和の誓い」発信

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「平和への誓い」への思いを話すバルバラ・アレックスさん=広島市中区で2022年7月20日午後4時14分、中村清雅撮影 拡大
「平和への誓い」への思いを話すバルバラ・アレックスさん=広島市中区で2022年7月20日午後4時14分、中村清雅撮影

 77年前の惨禍の記憶は、今を生きる子どもたちにも確かに受け継がれている。被爆2世の講演に心を揺さぶられたイタリア出身の小学生が6日、被爆地ヒロシマから平和のメッセージを世界に発信する。「全世界に『PACE(パーチェ)』(イタリア語で『平和』の意味)を広げたい」との願いを込めて。

 「大切なことは、戦争がもたらした惨状を知って、感じたことを自分の言葉で、みんなに伝えること」。広島原爆の日にある平和記念式典で、こども代表の一人として「平和への誓い」を読み上げる広島市立幟町(のぼりちょう)小6年のバルバラ・アレックスさん(12)は本番を前に意気込む。

 平和記念公園で行われる式典では毎年、市内の小学6年生の中から、作文とスピーチで選ばれた男女2人が誓いを読み上げている。

資料館の展示と重なったウクライナ

 バルバラさんは2022年、142校の1万1012人の中から選ばれた。ミラノ出身。イタリア人を父に持つ3人兄弟の末っ子で、2歳の頃から広島で暮らす。

 外国生まれのバルバラさんにヒロシマはどう映るのか。数年前に訪れた原爆資料館で、当時中学生だった長兄のミルコさん(20)が、ボロボロになった服などの展示品を前にぼうぜんと立ち尽くし、涙を流した。作文では、その時の様子に触れ、「この悲しい事実は、世界の人々、戦争を知らない僕たちも決して忘れてはならない、恐ろしい出来事です」とつづった。

 作文を書いたのは、ロシアのウクライナ侵攻が始まった頃で、報道で連日目にする現地の惨状は原爆資料館でかつて見た展示と重なり、胸を痛めた。

被爆3日後に撮影された藤井幸子さん=広島市で1945年8月9日、国平幸男撮影 拡大
被爆3日後に撮影された藤井幸子さん=広島市で1945年8月9日、国平幸男撮影

胸しめつけられた2世の講演

 もう一つ印象に残っているのは、21年6月に平和学習の一環として学校であった被爆2世、藤井哲伸さん(62)=東京都調布市=の講演だ。藤井さんの母幸子(ゆきこ)さんは、幟町小の前身の幟町国民学校在校時に被爆。その3日後に撮影された、傷だらけの痛々しい写真が原爆資料館に展示されている。

被爆3日後の母幸子さんを捉えた写真を見つめる藤井哲伸さん=広島市中区の原爆資料館本館で2019年4月25日、山田尚弘撮影 拡大
被爆3日後の母幸子さんを捉えた写真を見つめる藤井哲伸さん=広島市中区の原爆資料館本館で2019年4月25日、山田尚弘撮影

 藤井さんは、児童たちに原爆投下の再現映像を見せながら、街が一瞬にして焼け野原になったことを説明し、「事実を正しく捉えて、怖がることが大事だ」と話した。骨髄がんのため42歳で早世した幸子さんにも触れ、「自分たちの先輩に原爆で苦しんだ人がいたことを家族や友人に話してほしい。そして平和が大事だと伝えてほしい」と語りかけた。

 被爆した大先輩の子息の講演はバルバラさんの胸にも刻まれた。「話を聞いて、胸がしめつけられるような思いになりました」「『放射能と人とは共存できない』というのはすごく心に残りました」と感想文に率直な気持ちを記した。

藤井哲伸さん=広島市中区で2017年12月23日、山田尚弘撮影 拡大
藤井哲伸さん=広島市中区で2017年12月23日、山田尚弘撮影

 バルバラさんは、作文選考を経てともにスピーチに臨んだ市内の小6約20人と、平和への誓いの文案を練り上げた。「大人や子どもたちの心に残る平和への誓いを読み上げたい」と話す。

 バルバラさんの感想文を読んだ藤井さんも、遺族として式典に参列し、誓いに耳を傾ける。「自分の思いが伝わって、バルバラさんもスイッチを入れてくれたのでしょう。子どもたちが将来、世界の平和のため大切な役割を担えるよう、スイッチを入れるのが自分たちの責務だと思う」と語った。【中村清雅】

【広島・長崎原爆】

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