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サッカーW杯・カタール2022

サッカー・ワールドカップカタール大会が11月20日に開幕。4年に1度の世界最高峰の戦いの様子をお伝えします

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「パズルのような」スペイン フランコ独裁とW杯不振の関係は

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W杯南アフリカ大会決勝でオランダを降して初優勝し、トロフィーを掲げて喜ぶイニエスタらスペインの選手たち=南アフリカ・ヨハネスブルク郊外のサッカーシティー競技場で2010年7月11日、佐々木順一撮影
W杯南アフリカ大会決勝でオランダを降して初優勝し、トロフィーを掲げて喜ぶイニエスタらスペインの選手たち=南アフリカ・ヨハネスブルク郊外のサッカーシティー競技場で2010年7月11日、佐々木順一撮影

 レアル・マドリードにバルセロナ。サッカーファンならずとも知る強豪がひしめく国内リーグがありながら、スペインはワールドカップ(W杯)では不思議と力を発揮できなかった。W杯制覇は2010年の1度きり。長らく4強の壁を破れなかったのは、「パズルのような国」と呼ばれる歴史的背景が一因とされる。11月に開幕するW杯カタール大会では、1次リーグE組の最終第3戦で日本と対戦する。

 「日本のように代表チームを応援しようという空気は、元々スペインにはないんです。サッカーは地域のもので、クラブが絶対的に支持されてきました」

 第2の都市バルセロナがあるスペイン北東部カタルーニャ地方の近現代史を専門とする慶応大の山道佳子教授は、サッカー事情をこう説明する。

 イベリア半島に位置するスペインは8世紀から長くイスラム教の勢力下に入った。キリスト教勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)により15世紀にイスラム勢力を北アフリカに追いやったが、カタルーニャ地方や北部バスク地方などは中世では別々の王国として独自の文化を発展させてきた。スペインという一つの旗の下には、まとまりにくい国民性があった。

 19世紀後半から国内で広まったサッカーは1939年の内戦終結後、フランコ独裁政権の影響も受けた。中央集権化が推し進められた中、カタルーニャ地方は独自の言語の使用が禁じられるなど弾圧を受けた。反動で首都マドリードへの敵対感情は高まるばかり。

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