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土葬の村 高橋繁行 講談社現代新書
――こわれかけた家の中には、おおぜいの人が集まっていました。よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐずにえています。
「ああ、そう式だ。」と、ごんは思いました――
新美南吉作の児童文学「ごん狐」で狐のごんが、兵十の母親の葬式に出くわす場面だ。このうちの「大きななべの中では、何かぐずぐずにえています」という一文。もちろん、葬式の参列者に振る舞われる料理の準備をしているのだが、先日、ある週刊誌の記事を読んだところ、これを鍋で母親の遺体を煮ているのだと考える子どもがいるという。記事では、そうした子どもの解釈は社会的な常識のなさで、人の感情も理解できていないと嘆いている。母を亡くして悲しんでいる兵十が、その遺体を鍋で煮るわけがないというのだ。
確かに大鍋で遺体を煮るという葬式の情景は、私たちの社会常識とかけ離れている。むしろ、石川五右衛門の釜ゆでの刑罰などを連想する人もいるだろう。
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