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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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イランが悼んだ無名の日本女性 ヒロシマと結び、平和を願って

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イランの子どもに折り鶴を教える山村邦子さん(右)=「モーストの会」提供
イランの子どもに折り鶴を教える山村邦子さん(右)=「モーストの会」提供

 一人の日本人女性が7月1日、中東イランの首都テヘランの病院で、息を引き取った。山村邦子さん(イラン名・サバ・ババイさん、84歳)。日本では無名だが、葬儀会場や記帳所は多くのイラン国民であふれ、最高指導者ハメネイ師やライシ大統領が異例の追悼メッセージを寄せた。日イラン友好に尽くし、広島を繰り返し訪れ、被爆者とも交流した。山村さんが晩年、平和を強く願った背景には、約40年前の悲劇があった。

 山村さんは兵庫県芦屋市出身。現地で出版された回想録「日出づる国の移住者」によると、短大卒業後に働いていた語学学校で、イラン人貿易商、アサドラ・ババイさんと出会った。家族の強い反対に遭ったが、21歳の時、イスラム教に改宗し、神戸市内のモスクで結婚した。やがて長い船旅で、香港やムンバイを経て夫の母国に渡った。

 山村さんは息子2人と娘1人をもうけた。当時のイランは王制だったが、1979年に革命が起き、イスラム体制に転換。80年にはイラクが国内に侵攻し、イラン・イラク戦争が始まった。当時19歳の次男が「僕より若い人も戦場に行っている」と志願。大学受験のために一度帰宅したが、83年春、再び戦地へ。南部の戦場で地雷の除去作業中、砲弾を浴びて命を落とした。数カ月後、大学の合格通知が自宅に届いたという。

 イスラム教を政治・社会体制の軸とするイランでは、戦争で犠牲にな…

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【広島・長崎原爆】

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