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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「人類が核戦争の瀬戸際に」 被爆者訴え NPT再検討会議

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NPT再検討会議で演説する日本被団協の事務局次長、和田征子さん=米ニューヨークの国連本部で2022年8月5日(ピースボート共同代表の川崎哲さん提供) 拡大
NPT再検討会議で演説する日本被団協の事務局次長、和田征子さん=米ニューヨークの国連本部で2022年8月5日(ピースボート共同代表の川崎哲さん提供)

 米ニューヨークの国連本部で開かれている核拡散防止条約(NPT)再検討会議で5日、長崎で被爆した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の事務局次長、和田征子さん(78)が演説した。世界の核軍縮は停滞が続き、ウクライナ侵攻を巡りロシアは核兵器の使用を示唆した。和田さんは「核保有国と同盟国は、自分たちの不誠実さと傲慢さのために人類が核戦争の瀬戸際にあることを認識すべきだ」と、外交官らに核廃絶を訴えた。

 非政府組織(NGO)セッションで登壇した。「毎年約9000人の被爆者が亡くなり、被爆者はそのうちいなくなる。けれど、その前に3度目の核兵器の使用で新たな被爆者が生まれるかもしれないのだ」。英語でのスピーチでそう力をこめた。

 和田さんは1945年8月9日、1歳の時に爆心地から約2・9キロの自宅に母といた時に被爆した。当時の記憶はない。2011年に他界した母が生前に語っていた体験を基に証言活動を続けてきた。あの時、家の隣の空き地には遺体が大八車で毎日集められて焼かれていた。その数にも、臭いにも、誰も何も感じなくなっていった、と母は語っていたという。

 核兵器禁止条約が17年に採択された時、「重く、さび付いた扉が開き、一筋の光が差し込んできた」と感じた。だが「その扉の内側に見えたのは、巨額の軍事費と進化する新たな兵器だった」。和田さんは「NPTが発効してからの52年間、世界は何をしてきたのか」と述べ、日本も含めて各国が誠実に議論し、10年の再検討会議で再確認した核廃絶の「明確な約束」を誓うよう求めた。

NPT再検討会議で演説後、記者団の取材に応じる日本被団協の事務局次長、和田征子さん=米ニューヨークの国連本部で2022年8月5日、隅俊之撮影 拡大
NPT再検討会議で演説後、記者団の取材に応じる日本被団協の事務局次長、和田征子さん=米ニューヨークの国連本部で2022年8月5日、隅俊之撮影

 そして前を真っすぐ見て「ノーモア ヒバクシャ」と演説を締めくくった。演説後、記者団に「遠くに出かけて被爆体験を話せる人は年々ではなく月々減っている。(議場の外交官らに)被爆体験を聞いたことがありますか、被爆者と会ったことがありますか(と問いかけたい)という思いを込めた」と語った。

長崎の田上富久市長も演説

 この日は、長崎市の田上富久市長もNGO「平和首長会議」の代表として演説し「人類が核兵器のリスクから免れる唯一の手段は廃絶しかない」と訴えた。また、若者代表の一人として慶応大4年の高橋悠太さん(21)も登壇し「私たちは自分が築いたのでも同意したのでもない核体制の下に生まれた世代だ」と述べ、「今こそ行動する時だ」と訴えた。【隅俊之】

【広島・長崎原爆】

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