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被爆者の平均年齢は今年初めて84歳を超えた。体験を次世代にどのように伝えていくかは待ったなしの課題だ。広島原爆で祖父と父を亡くした木村緋紗子(ひさこ)さん(85)=仙台市太白区=にとっても事情は同じ。6日の平和記念式典には、長男の仁紀(まさのり)さん(54)=同=を伴って参列した。「私の後ろ姿を見ながら、自分で考えて活動してほしい」と息子にバトンを託す。
緋紗子さんは約30年前、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の宮城県組織に入会し、現在は会長を務めている。被爆者支援や核廃絶の取り組みに力を注いできた。保有国と非保有国が一堂に会して5年に1度開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて過去3回、開催地の米ニューヨークを訪れ、原爆加害国で核廃絶を訴えた。
長年にわたる活動の原動力となったのは、8歳の時に遭遇した強烈な体験だ。開業医だった父は爆心地から約700メートルで往診中に被爆し、3日後に亡くなった。自身は爆心地から約1・6キロの大須賀町(現広島市南区)にあった祖父の別荘で被爆した。
倒壊した建物の下から助け出されて命に別条はなかったが、庭にいた祖父は熱線を浴び、全身の皮膚が真っ赤になる大やけどを負った。緋紗子さんは兄弟たちと、傷口にわいたウジ虫をピンセットで取り除いたり、うちわであおいだりと看病を続けたが、父に続いて被爆6日後に亡くなった。「看病する時は臭くて、嫌で嫌で仕方なかった。亡くなった時はほっとした」と当時の率直な心境を明かす。
その時の様子を再現した絵画がある。描いたのは、平和学習に熱心に取り組む広島市立基町高校(同市中区)の生徒らだ。タイトルは「幽霊になった祖父」。緋紗子さんたちが祖父に寄り添う姿を油絵で表現した。
同校の普通科創造表現コースの生徒が毎年、被爆者の証言を基に惨禍を再現した絵を描いているのを緋紗子さんが知ったことがきっかけで、同校に打診して実現した。オンラインで生徒と複数回やりとりし、2021年夏に完成。「原爆の悲惨さは、体験していない子どもの心にもまっすぐに響くんだ」と感銘を受けた。
2人は4日、基町高を訪れ、絵のレプリカを鑑賞した。緋紗子さんは「絵を見るたびに祖父を思い出し、父のことも考えてしまう。死ぬまで忘れられない」と涙ぐんだ。仁紀さんは「母が大変な経験をしたことを絵を通じて改めて知った」と話した。
一方、被爆者の証言活動が細ることについては、緋紗子さんだけでなく、一緒に暮らす仁紀さんも懸念を深めている。「母はこれまでどんなことを訴えてきたのか。被爆2世としてもっと知っておきたい」と感じている。
6日の平和記念式典。参列した2人は進行を静かに見守りながら、亡くなった父祖を悼み、その体験を継承していく決意を改めて胸に刻んだ。【橋本陵汰】
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