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マスクと国葬と恥ずかしさ

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正覚寺の33世住職、鵜飼秀徳さんはジャーナリストとして著作も多い=京都市右京区嵯峨野々宮町で2022年8月1日、吉井理記撮影
正覚寺の33世住職、鵜飼秀徳さんはジャーナリストとして著作も多い=京都市右京区嵯峨野々宮町で2022年8月1日、吉井理記撮影

 今春から東京学芸部で文壇・宗教を担当しています。それまでは夕刊「特集ワイド」やデジタル報道センターで安倍晋三さんを長くウオッチしてきました。その安倍さんの国葬について、僕のマスク生活から考えてみました。【東京学芸部・吉井理記】

 恥ずかしい告白をする。

 僕は「ハンドマスク」をしている。

 何のことか。

 手をマスクがわりに口にあてることではない。屋外でマスクをつけず、ひらひらと手で持ち歩くことだ。僕が勝手に呼んでいる。

 近くに人がおらず、だれかとおしゃべりをしないのなら、屋外でマスクをする必要はない。厚生労働省もそう通達している。

 でも実際はどうか。猛暑のなか、周囲に人がいないのに、多くの人が頑としてマスク姿を崩さない。

 気持ちは分かる。僕がそうだった。多数派と違うことはしたくない。周囲の視線が気になる。非常識な、ヘンな人に見られるのもイヤだ。

 だからマスクは手放せない。でもマスクをつけるのは暑いし、多数派の視線に屈したようでくやしい。

 そこでハンドマスクだ。

 マスクは外す。だが他人に見えるように手で持つ。ここが肝要だ。マスク所持者であることを周囲に示し、多数派として認められつつ、自分の卑小な反骨心をも満足させる、というわけだ。ウイルスの飛散を防ぐ、というマスク本来の意味は皆無である。

 でもそうまでしても、自分を偽っているような、どうしようもない恥ずかしさだけは残る。何よりハンドマスクに込めた意味など、とうに人々に見透かされているとも思う。ああ恥ずかしい。

 さて、9月27日に予定される安倍晋三元首相の国葬のことだ。

 安倍氏の葬儀は7月12日、東京・芝の増上寺ですでに営まれた。1991年になくなった父・晋太郎氏と同じである。増上寺は浄土宗のお寺だ。安倍氏は浄土宗信徒の国会議員で組織する「浄光会」の世話人も務めていた。

 その国葬当日、安倍氏の魂はどこにいるのか…

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