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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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77年前、母は私の名を呼び続け死んだ 初参列の式典で冥福祈り

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 長崎市に米軍の原爆が投下されて77年の9日、被爆地では亡くなった人たちへの祈りがささげられた。世界のそこかしこで戦火や国、地域のいさかいが絶えず、核兵器の使用さえ危ぶまれる昨今、原爆で傷ついた人たちへの援護も十全とはいえない。傷はなお痛む。

   ◇

 77年前、長崎市で被爆した母は自分の名前を呼び続け、死んだ。「その姿が母を思い出す唯一の記憶なんです」。そう語る佐賀県小城市の被爆者、右近守さん(81)は9日、長崎市であった平和祈念式典に佐賀県の遺族代表として初めて参列した。あの日原爆がさく裂した長崎で、まぶたの母の冥福を祈った。

 当時4歳だった右近さんは、爆心地から約1・7キロの神社で遊んでいた。突然、空襲警報が鳴り響き、防空壕(ごう)へ駆け込んだ。しばらくして異様な光が差し込み、爆風に襲われ、近くの工場から火の手が上がった。

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【広島・長崎原爆】

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