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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「原爆乙女」の姿知って 車椅子の被爆者を25年撮り続けた写真家

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撮影した渡辺千恵子さんの写真を手に当時を振り返る黒崎晴生さん=長崎市で2022年8月4日午前11時4分、樋口岳大撮影
撮影した渡辺千恵子さんの写真を手に当時を振り返る黒崎晴生さん=長崎市で2022年8月4日午前11時4分、樋口岳大撮影

 被爆地・長崎が毎年8月9日に世界に発信する平和宣言。今年の宣言には、被爆時のけがで下半身の自由を失いながら原水爆禁止を訴えた渡辺千恵子さん(1993年に64歳で死去)のエピソードが盛り込まれた。長崎市の写真家、黒崎晴生さん(87)は25年にわたって渡辺さんを撮り続けた。「動かなくなった足を見せたがらなかった渡辺さんが、さまざまな人との交流を通して、気持ちが変わっていったことを知ってほしい」と話す。

 渡辺さんは、爆心地の南約2・8キロの三菱電機長崎製作所で「学徒報国隊」として動員中に被爆。鉄骨のはりの下敷きになって脊髄(せきずい)を損傷し、下半身が不自由になった。自宅で寝たきりになったが、新聞でその様子を知った人たちとの交流が始まり、55年に4人の女性被爆者と「長崎原爆乙女の会」を結成した。

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【広島・長崎原爆】

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