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終戦直前の皇居、陸軍と平和の女性裸像 戦後は「いつわり」か

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三宅坂小公園の「平和の群像」。像と比して台座が妙に重厚だ。奥に最高裁判所の建物が見える=東京都千代田区隼町で2022年8月5日午後2時15分、鈴木英生撮影
三宅坂小公園の「平和の群像」。像と比して台座が妙に重厚だ。奥に最高裁判所の建物が見える=東京都千代田区隼町で2022年8月5日午後2時15分、鈴木英生撮影

 昨日は終戦77年でしたね。私は毎年、今の時期の夜、皇居北隣の毎日新聞東京本社から外を眺めては、周辺で終戦直前に軍人が起こしたある事件について思います。この事件は、全国の公園や駅前広場で見かける女性裸像と実は接点がある。今回は、そんなお話です。【オピニオングループ・鈴木英生】

 1945年8月14日深夜から15日朝にかけて、宮城事件と呼ばれる事件が起きた。戦争継続を求める陸軍将校らが、昭和天皇への直談判や玉音放送用に録音したレコード盤の奪取を企てたのだ。

 事件の舞台は、皇居のほか、現在の毎日新聞東京本社のすぐ西にある近衛師団司令部(現東京国立近代美術館分室)、さらに西方向にある市ケ谷台の陸軍省(現防衛省)、南東方向にある有楽町の東部軍管区司令部(現DNタワー21)など。将校らは、この数キロ圏内を自転車や自動車で一晩行き来して陸軍幹部に決起を促すが失敗。夜明けに陸相の阿南惟幾(あなみ・これちか)が切腹し、徹底抗戦の声は静まってゆく。

 阿南が切腹した陸相官邸は、国会議事堂そばの三宅坂付近にあった。今、三宅坂交差点の角地は小公園になっていて、51年建立の「平和の群像」が建つ。日本の公共空間に置かれた最初期の女性裸像である。

 先日、ふらりと社を出て地下鉄に乗り、皇居を挟みほぼ反対側のこの公園に初めて足を踏み入れた。歩道から石造りの階段を上ると猫の額ほどの広場。中央に女性3人の像が不釣り合いに重厚な台座上で並び、他はベンチがあるだけ。背後に最高裁判所が迫り、正面に皇居の緑が広がる。セミ時雨がやまない。

 戦前は、同じ台座に「寺内元帥騎馬像」が鎮座していた。この元帥、寺内正毅は、朝鮮総督や首相を歴任した人物で、像は戦中の金属供出で失われた。その跡に「平和の群像」が建立される際、毎日新聞は「軍国日本から文化日本への脱皮を象徴する女神の像」と報じた(50年6月24日付)。

 「平和の群像」は広告大手の電通が建て、東京都に寄贈した。彫刻家で評論家の小田原のどかさん(36)は「戦争であれ平和であれ、体制の意思を宣伝(プロパガンダ)した点で戦前の像と連続性がある」と指摘する。テーマは正反対でも、像の役割は似ている。

 それにしても、なぜヌードが平和の象徴なのだろう?…

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