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ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に

源氏物語をはじめ日本の文学や文化の魅力を世界に紹介した故ドナルド・キーンさん。生誕100年を機に、膨大な英語の著作から、その言葉の意味を考えます

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ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に

/12 日本への思いこらえ、再び母校の大学へ

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1946年、戦争からニューヨークへ帰った24歳のころのキーンさん(右)。コロンビア大学で研究者となり、母リナさんとの穏やかな日々が戻った(ドナルド・キーン記念財団提供)
1946年、戦争からニューヨークへ帰った24歳のころのキーンさん(右)。コロンビア大学で研究者となり、母リナさんとの穏やかな日々が戻った(ドナルド・キーン記念財団提供)

 日本と米国の戦争が終わった。敗れた日本は、明治以来の軍国主義と決別し、新しい政治体制の中で、民主国家として歩み始める。所属していたハワイの海軍本部に戻ったドナルド・キーンさんにとっても、一つの時代が終わった。漠然とした喪失感の中で、キーンさんは除隊の手続きをし、ニューヨークに戻った。唯一の肉親ともいえた母のリナさんは、わが子の無事な生還を、誰よりも喜んでくれた。

 しかし、開戦によって急速に高まった日本への米国社会の関心は、急速に失速してしまったようだ。

Strange to say, although I had eagerly awaited release from the navy, I had never given much thought to what I would do afterward. Most of the other language officers planned to return to their work prior to joining the navy, but I had no profession. I knew Japanese, but this was not much of an asset, as it was commonly assumed that it would take at least fifty years for Japan to regain its prewar importance. Some language officers, deciding that China was likely to replace Japan as the leading power in East Asia, shifted to studying Chinese. But most of those who had learned Japanese lost all interest in using the language.…

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