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残像・戦争の記憶と記録

77年前に終わった戦争の記憶と記録は今、どれだけ残っているのでしょう。戦時中の記者たちが遺したものから考えました。

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悲劇映す「特攻と桜」 知覧で兵士見送った女学生たち 今語る

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女学生の見送りを受け出撃する特攻機。この場に、桑代チノさんも居合わせたという。早川弘さんが撮影した
女学生の見送りを受け出撃する特攻機。この場に、桑代チノさんも居合わせたという。早川弘さんが撮影した

 太平洋戦争末期、戦況悪化で追い込まれていく日本の片隅に、言葉にできない思いをのみ込んだ人たちがいた。もう帰ることはないと知りながら飛行機に乗り込んだ若者と、見送るまだ年端もいかない女学生たちが。

 特別攻撃隊は、若い兵士らに飛行機ごと敵艦に体当たりさせる無謀な作戦だった。この夏、基地があった町で、当時の女学生は言った。「美談になどしてほしくない、ただの悲劇でした」

 戦争が日常の一部だったあの頃の風景を収めた写真を携え、記者はその町を訪れた。【春増翔太/東京社会部、森口沙織/大阪社会部】

 連載「残像~戦争の記憶と記録~」は、全5回です。
 このほかのラインアップは次の通りです。
 第2回 「8・15」のメモをたどれば
 第3回 漫画「セレチャン」知ってますか?
 第4回 南京、レンズ越しの「真実」は語る
 第5回 そして従軍日誌だけが残った

「振る翼、見送る可愛い手の数々」

 うっそうと杉の木々が茂る中に、今は石碑とあずまやだけが建つ。7月、鹿児島・知覧。かつて簡素な三角屋根の兵舎がいくつも建ち並び、飛行機で敵艦に体当たりする特別攻撃隊の隊員たちが出撃までの日々を過ごした場所を、2人の女性が訪れた。

 知覧に暮らす桑代チノさん(93)と、北九州市から3年ぶりに帰郷した三宅トミさん(92)。77年前、2人は知覧高等女学校の3年生だった。太平洋戦争末期、「お国のため」と若者たちを死に追いやり、誰もがそれを見送るしかなかったあの頃を今も記憶に残す。

 薄暗い林の中、つえを手にした同級生の2人は確かめるように周囲を見やり、傍らの記者に言い聞かせるように話した。

 「この辺に軍用トラックが何台もあってね。そうだよね、トミちゃん」

 「ええ、そこの坂を走って出撃のお見送りをしましたね」

 1945(昭和20)年4月、三宅さんは特攻隊員の、桑代さんは特攻機の先導や援護をする戦闘隊員の世話係として、兵舎に通った。だからここに来ると思い出す。

 「あんなに悲しいこと、なかったですね……。若い人たちが、二度と帰ることのない飛行機に乗って、飛んでいきましたから」。三宅さんはそう言って、木立の間にのぞく空に目を向けた。

 知覧は薩摩半島の南部、鹿児島市街地から車で1時間ほどの山あいにある。合併で南九州市の一部になった旧知覧町には戦争末期、敵を殺すために自らも死ぬ使命を負った特攻隊の基地があった。陸軍の沖縄特攻作戦で亡くなった17~32歳の1036人のうち、439人が本土最南端のこの基地から飛び立ち、約600キロ離れた沖縄付近にいる米艦隊を目指した。

 当時、地元の人々も関わった。男手は機体を押して駐機場所から滑走路まで出す作業を手伝い、知覧高女の女学生たちは隊員たちの身の回りの世話を担った。45年3~4月の3週間ほど、三宅さんと桑代さんを含む15歳前後の3年生およそ100人が、基地での勤労奉仕に出向いた。そして、特攻機を見送った。

 そんな場面を収めた1枚の写真がある。出撃する特攻機と、手にした桜の枝を振りながら見送る7~8人の女学生たちの後ろ姿。戦後、中学校の教科書に載るなど知覧の特攻を伝える象徴的な写真として用いられ、旧知覧町の町長室にも長く飾られていた。

 撮影されたのは大規模な出撃があったとされる45年4月12日、兵舎の跡地から北に1キロほどの滑走路と戦闘指揮所があった場所だ。写真に姿はないが、桑代さんはその場に居合わせた。

 「出撃があると聞いてね、走って行ったら間に合って。同級生が持ってきてくれた桜の枝を皆で持ったの。悲しくてまともに見ることはできなかった。南の方の開聞岳の向こうに機影がもう小さく……消えていくまで、空を見ていたよ」

 特攻機は、片翼に燃料タンク、一方に250キロ爆弾を抱えていた。別れを告げるように上空で旋回し、空のかなたへ去ったという。

 写真は、毎日新聞のカメラマンだった早川弘(ひろむ)さん(81年に64歳で死去)が撮影し、5日後に「花と特攻隊」という記事と共に掲載された。「振る翼にいつまでも見送る可愛い手の数々」と、文中にはある。

 基地には軍の報道班員と呼ばれた新聞・通信社の記者も詰め、特攻隊の「雄姿」を報じた。特攻機と女学生、そして桜。構図としてはいい「絵」になった。

 この夏、久しぶりの再会を喜んだ桑代さんと三宅さんは当時の写真を手に互いの思い出を語り合った。「見送りの時は、みんな黙っていたよね」「飛行機は次から次に出るでしょう。私たちがいたのも戦場と一緒だったね」

 その様子を見つめていた男性が「よほど衝撃的な記憶だったのですね」と問い、桑代さんは顔を上げた。「思い出したくないけど、忘れちゃならないとも思う。お父さんがこの写真を撮ってくれたおかげでね、感謝していますよ」

 男性は、早川さんの長男、巌さん(81)=大阪府高槻市。桑代さんの言葉を聞き、ほほえんだ。「父はどんなカメラマンだったのか知りたい」と思い、初めて知覧を訪れていた。

若者を駆り立てた風景、撮影の意味

 7月、知覧(鹿児島県南九州市)は緑の濃い季節を迎えていた。薩摩藩時代の武家屋敷が残る市街地の周囲には水田や茶畑がどこまでも続く。かつて特攻隊が飛び立った滑走路があった場所に、今はサツマイモの葉が生い茂る。

 そんな景色の中で、3年ぶりに帰郷した三宅トミさん(92)は、級友の桑代チノさん(93)と77年前の日々を振り返った。

 「2、3時間後にはもうこの世にいないと知りつつ見送る気持ちは何とも言えないものでした。まだ15歳の子どもだ…

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