特集
人生100年時代、より豊かな生活を送るためには「お金」と向き合うことが不可欠です。この特集ページでは、お金に関するさまざまな話題を取り上げ、「お金とわたし」をテーマにした著名人インタビューも随時掲載します。
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各界の著名人が語る「お金とわたし」。今回は、子どもの時から青年期まで貧しい生活を送っていたという、お笑い芸人のパックンことパトリック・ハーランさん(51)です。幼い頃から培われた「逆境を生き抜く力」は、今も生きる支えになっているそうです。【坂根真理】
――あまり裕福とは言えない家庭に育ったそうですね。
両親が離婚したことがきっかけで、7歳ごろから周りより貧乏になりました。母は失業しており、一時期は生活保護を受けていました。お金が無いから十何年間も同じスカートをはいて。ずっとですよ!
フライパンの取っ手が取れても使い続けていたね。母が家計簿を見て泣いていた姿も記憶に残っています。経済的な余裕はまったくありませんでした。
僕は靴に穴が開いても履き続けたし、上着をなくしても「あなたが悪い」ということで買ってもらえず、トレーナーを重ね着して何とかしのいだね。スノーブーツを買わず、靴下に長い袋をかぶせてスノーブーツ代わりにしていました。
あと、牛乳は高いから、ずっと脱脂粉乳を飲んでいた時期もあります。脱脂粉乳は母が就職しても飲んでいたね、とても安いから。

暖房は約16度に設定していました。寒かったけど、その方が毛布のありがたみが分かります。10歳から新聞配達を始め、その前からサマーキャンプの費用を稼ぐためにお菓子の訪問販売や、芝刈りや雪かきのアルバイトをやったこともあります。
周りの友達と同じように遊べないことが悲しかったし、「何の変哲もない豊かな暮らし」をしている普通の人たちが、どうしようもなく恨めしかったです。
母も僕と同じように苦しんで悩んでいたし、僕よりも頑張っていたので、母に対して感謝しかないけど「不公平だなあ」と社会に対しての怒りはありましたね。
――私なら、自分の境遇を呪ってしまいそうです。
成功者に対して「あの人は三塁の場所に生まれてホームに入っただけ。本人は本塁打を打ったつもりだけどね」という批判(の言葉)があるんです。でも、僕は正直、二塁ぐらいに生まれているんですよ。
(出身は)先進国のアメリカですし、まだ差別が深く残っている社会の中で「過半数の人種」でしたし、男性ですしね。差別対象ではなかった。健康体で、頭もルックスもいいしね(笑い)。
僕は二塁に生まれているとは思うんですが、お金持ちではない。(成功者を見て)「親の七光りで成功してもかっこ悪いぞ」「俺が追いかけて追い抜くぞ」と思っていました。とにかく心がタフになったよね。
同時に、少数の人種だったりして、一塁やホームの所に生まれた人もいます。そうした子どもが成功するのは、二塁にいる僕よりもすごく大変なこと。「僕よりも大変な人がいる」という謙虚な気持ちや、広い視野を持てたと思います。
――貧しかった経験は、現在のご自身にどのように影響していますか。
貧乏のおかげで何事にも屈さない精神力が身についたのは大きいですよ。だからといって、貧乏を経験することを勧めたいわけではありませんよ(笑い)。
「お金が無くなっても絶対に死なない。何とかするぞ」と知恵を働かせてきたので、普通の人よりも生きるすべの引き出しは多いと思います。

それに、「母を助けたい、困らせたくない」という思いが強かったから、人一倍、勉強も部活も頑張ることができました。部活で活躍したり、テストでいい点数をとったりしたら母が喜びますからね。母を喜ばせることが大きなモチベーションになっていました。
うちの家には、人からもらった古い白黒テレビしか無くて、しかもすぐに壊れるんです。でも、テレビを見ない代わりにたくさん本を読みました。自然とハーバード大を目指せるほどの語彙(ごい)力や基礎知識が養われました。
それにね、小さなことでも感謝の気持ちになるんですよ。あなた(記者)が用意してくれたボトルウオーターもうれしい。お金がもったいないので、僕はボトルウオーターは買わないですから。
仕事でタクシーに乗る時も「本当にタクシーに乗っていいの? マジですか」とマネジャーに毎回言ってしまうしね。貧しい家庭で育っているからだと思います。何でもありがたく感じることができるんですよ。小さなことで幸せを感じています。
――世界屈指の名門・ハーバード大を卒業し、日本でもお笑い芸人として大活躍され、経歴だけを見ると輝かしい人生に見えます。どうやってチャンスをつかんだのでしょうか。
(今の)僕は恵まれています。お金に困っていないし、家も仕事もありますから。ただ、そういう立場になったことを「当然の結果」だとは思いません。「僕はめちゃくちゃラッキー」だと思うんです。
たくさんの人に助けてもらったから、ここまで来られました。人は誰一人として、自分一人の力では成功できません。僕を一生懸命育ててくれた母のことはもちろん、我が家の事情を気遣ってくれた学校の先生たち、ご飯を食べさせてくれたり、遊びに連れて行ってくれたりした友達のご両親たち、奨学金をサポートしてくれた顔も知らない人たちがいるから、僕は自分のベストを出せるように努力できたのです。
「運は機会と準備の接点」という言葉があります。個人の努力と、周囲が支えるための準備をしておけば、巡ってくるチャンスを生かせるということです。ラッキーに見えることは「本人と周囲の人が手を尽くしたおかげ」という意味です。周りの協力によってできる「準備」のおかげで、子どもの人生は大きく変わるということを声を大にして言いたいですね。
――日本では7人に1人の子どもが貧困状態にありますが、そうした子どもや家庭に対してサポートを続けていると聞きました(※2019年国民生活基礎調査によると、中間的な所得の半分に満たない家庭で暮らす「子どもの相対的貧困率」は18年時点で13・5%)。
お金がないと、頭や心の余裕が無くなります。精神状態が危うくなるんです。ある調査結果があります。インドの農家を対象にしたものです。彼らは収穫の直後だけお金に余裕があり、その他の季節は貯金を取り崩して生活をしています。次の収穫の時期までにどうにか生活をつないでいるのです。
経済的に余裕がある時と無い時に、農家に同じIQテストをさせるんです。すると、余裕がある時は高い結果が出たんです(出典:米プリンストン大学調査)。
本当の頭の良さは変わってませんよ。ずっとお金のことを考えていると、人間は物事の処理能力も記憶する能力もお金の心配に奪われてしまうんです。お金のことでストレスがたまると、人間はパフォーマンスが落ちるんです。

それに、将来を悲観して自暴自棄になって変なことをやってしまうかもしれないし、貧困であるがゆえに大学進学など「人生のチャンス」をつかめないこともあります。「生まれた環境で人生が決まっていいの?」という問題意識はずっと僕の中にありました。生まれた環境によって、学びや遊びの機会が奪われてはいけません。だから、寄付を続けています。
僕は給食が無料でしたし、家にお金が無かったけど誰かがサポートしてくれたから遠足にも行けたんです。ハーバード大のグリークラブのツアーもOBの寄付で行けましたしね。社会の誰かがお金を出してくれているから、今の僕がある。「恩返し」の思いをこめて寄付を続けています。
――子どもの貧困問題を解決するには、どうすればいいのでしょうか。
日本は貧困家庭に対する支援をもっと分厚くする必要があると思います。特に子どもの教育に対する公的資金は惜しむべきではありません。「そんな財源はない」という批判の声がありますが、もっと長い目で考える必要があります。
子どもたちは、いずれは大人になって国に税金を納めてくれます。どんな大人になり、どれぐらい税金を納めてくれるかは、どんな教育を受けてきたかということと切り離せないと思います。

学力や学歴の差は、将来の賃金格差につながります。よりよい教育を受けた子どもほど、より多くの税金を納めるようになる可能性が高いということです。例えば、お金がなくて行きたい高校や大学に行けない子どもがいたとしたら、その子どもたちの教育費を政府が全額出せばいいのです。
その子たちがスキルや知識を身につけて適材適所で働けたら、納める税額も上がることにもなります。数年の学費で、より高いお金を長年納税してくれると考えたら、学費支援なんて超お得。それに、出生率も上がるはずです。
日本財団と三菱UFJリサーチ&コンサルティングの試算も興味深いです。貧困家庭を放置すると、子どもが大人になってから得るであろう所得が減るというものです。経済損失は、1学年あたり2・9兆円。また、生活保護など国からお金を受け取るようになる可能性が高くなり、政府支出は1学年あたり1・1兆円増えるという試算です。貧困を放置した方が社会的ダメージは大きいわけです。
子どもの教育の機会を保障することは、将来への投資です。社会の財産である子どもに資金を投じなければ、日本の国力はそがれていくことになると思います。
――記憶に残っているお金の使い方はありますか。
11歳か12歳の時に買った自転車です。新聞配達の2年分のギャラをためて買いました。ちょうどBMXブームだったんですよ。映画「E.T.」にも出ていたので、友達もみんな持っていて、欲しくて仕方がなくてね。近所で一番いい自転車を買いました。いまだに僕の自慢だし、今、東京の自宅にありますよ。
預金口座の中の数字が、ちゃんと物質に変わりますから。それが面白い。「架空の数字が物質に変わることを楽しもう」と思って、来日した時、15万円のバイクを福井で買ったことも思い出です。そうだな、人生で10万円以上の買い物をしたことってほとんどないかも。家、ベッド、バイク、パソコンぐらいかもしれません。
――最後に、どのような資産運用をされているか教えてください。
25歳の時に大学の奨学金を全額返済して株式投資を始めました。主にインデックス投資(日経平均株価、NYダウなどの株価指数と値動きが連動する投資方法)で、かれこれ26年ほど続けています。日本株も一部持っていますが、8割がアメリカ株ですね。ファンドを買うだけなんで超簡単です。「貯金はお金を守るもの」だとみんな思っていますが、インフレになったら貯金の価値は減ります。
万が一何かあったときのために、半年ぐらい暮らせる生活費は貯金しておいた上で、インデックス投資で老後に向けて資産をためていってほしいと思います。

「ためる」というより、「お金を作って育てる作業」だと思っていただきたいですね。投資をしていると老後が少し安心になるし、社会に関心を持てるようになります。いっぱい良いことがあります。節約して生まれたお金を投資に回していってほしいですね。
お金を「資源の一つ」だと考えてみてください。投資をしないというのは、開発行為をしないということです。「お金がお金を生む」という力を持っているのに、その力を利用しないなんてもったいないですよ。
投資の中では、債券が一番無難なんですけど、債券ファンドでも年に2~3%の利息がもらえますよ。お金があることで、精神状態が安定し、豊かな家庭環境を提供することができます。「お金が心配で心配でしょうがない」という精神状態だと、正しい判断がしづらいですからね。お金の稼ぎ方や増やし方をきちんと理解して、安心してお金と付き合っていってほしいと思います。
パトリック・ハーランさん
1970年生まれ、米国コロラド州出身。93年にハーバード大比較宗教学部卒業。同年に来日し、97年にお笑いコンビ「パックンマックン」結成。NHK「英語でしゃべらナイト」などのテレビ番組や報道番組などに数多く出演。2012年から東京工業大の非常勤講師。2児の父でもある。近著に「逆境力 貧乏で劣等感の塊だった僕が、あきらめずに前に進めた理由」(SB新書)がある。