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海に眠る約800人の幼き命 対馬丸のこどもからあなたへ

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姉たちのランドセルを見つめる外間邦子さん。手にしているのは2人の姉との記念写真。大切な思い出の品だ=那覇市若狭の対馬丸記念館で2014年3月20日、武市公孝撮影
姉たちのランドセルを見つめる外間邦子さん。手にしているのは2人の姉との記念写真。大切な思い出の品だ=那覇市若狭の対馬丸記念館で2014年3月20日、武市公孝撮影

 本日で終戦から77年になります。玉音放送のわずか半日前にあった秋田市の土崎空襲。その体験者に話を聞いたのが、戦争をテーマにした初めての取材でした。半世紀以上がたち、ようやく苦しい記憶を話せるようになった女性のことを今でも覚えています。今回のコラムは沖縄の子どもたちの話を届けます。【東京社会部・銭場裕司】

 そこには、こんな言葉で始まる詩が壁に掲げられている。<ときどきでいいのです/どうかわたしたちのことを思いだしてください/あなたは、海へ行くことがありますか?/海へ行って海の水にさわりますか/その水は、私たちの眠るあの悪石(あくせき)島の海へつながっているのです>

 詩があるのは対馬丸記念館(那覇市若狭)。学童疎開船「対馬丸」は78年前の1944年8月21日、沖縄の子どもたちと引率教員らをのせて那覇港を出港した。目指したのは長崎だ。

 「対馬丸のこどもからあなたへ」と題した詩はこう続く。<真っ白い雪や大きな汽車/そして、真っ白いご飯にあこがれ/まるで修学旅行にでも行くように船に乗ったわたしたちは/アメリカの潜水艦の攻撃を受けて沈められました>

 船に乗った子どもたちは「ヤマトへ行けば雪も桜も見ることができる」とはしゃいでいたという。親元を離れる不安を和らげて集団疎開を進めようと、大人たちはあえて明るい話をしていた。

 出航翌日の夜10時過ぎのことだ。船は鹿児島県にある悪石島の北西約10キロを航行中、魚雷攻撃を受けた。船内で寝ていた子どもたちは船とともに沈み、外に逃れても高波にのまれた。…

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