連載

残像・戦争の記憶と記録

77年前に終わった戦争の記憶と記録は今、どれだけ残っているのでしょう。戦時中の記者たちが遺したものから考えました。

連載一覧

残像・戦争の記憶と記録

戦火を描かなかったシンブン漫画家 セレベス島の少年に語らせたこと

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
牧とらをさんが「コドモシンブン」に描いていた4コマ漫画「セレチャン日本見物」
牧とらをさんが「コドモシンブン」に描いていた4コマ漫画「セレチャン日本見物」

 今はスキューバダイビングの名所として知られる南の島はかつて、日本の占領下にあった。そこに暮らす人たちに日本軍を歓迎させ、日本語を浸透させるため、現地では子ども向けに邦字新聞が発行された。その新聞では、日本の劣勢が明らかになる頃まで4コマ漫画の連載が続いた。

 漫画の中で、島から来日した主人公の少年は、友達の案内で日本のさまざまな場所に足を運ぶ。そして、初めて経験する日本の寒さに震え、東京の人混みに驚く。時代背景と、作品に流れるほのぼのとした空気にギャップを感じた。描いた人は何を思い、戦争をどう感じていたのか。どうしても知りたくなった。【椋田佳代/東京社会部】

 連載「残像・戦争の記憶と記録」は、全5回です。
 このほかのラインアップは次の通りです。
 第1回 「特攻と桜」は悲劇を映す
 第2回 「8・15」のメモをたどれば
 第4回 南京、レンズ越しの「真実」は語る
 第5回 そして従軍日誌だけが残った

戦場に行きたくなくて新聞社

 3年前、一通の手紙が届いた。差出人は東京都内の出版社。亡くなった父が描いた漫画の使用について許諾を求める内容だった。父は太平洋戦争中、日本占領下のセレベス島(現インドネシア・スラウェシ島)で発行されていた週刊の邦字新聞「コドモシンブン」に4コマ漫画を連載していた。その復刻版を出版する計画があるのだという。

 「(記事が)全部、片仮名なんだ」。東京都杉並区の自宅で7月、マイクロフィルムから印刷したコドモシンブンを記者から受け取ると、能登山修さん(73)は珍しそうに眺めた。漫画家で、サンデー毎日編集部に長く在籍した牧とらをさん(本名・能登山豪さん、1991年に76歳で死去)の長男だ。フィルムの冒頭には「太平洋戦争中、毎日新聞社が軍の委嘱を受け、日本語の普及を目的に発行した週刊紙である」と説明がある。

 牧さんが連載した漫画「セレチャン日本見物」は、セレベス島から来日したばかりの少年セレちゃんが主人公だ。初めての雪に驚き、地下鉄に乗る。銀座通りを歩き、日本の発展ぶりに目を見張る姿を描いた回が掲載された日のコドモシンブン1面は、日本の海軍航空隊が編隊を組み、敵の飛行場への爆撃を始めたニュースを伝えていた。

 日本軍が侵攻した各地では、新聞社などによって邦字新聞が発行された。兵士の士気を高める目的や、現地の人たちを同化させていく「皇民化教育」に利用された。ただ、占領政策の中で発行されたコドモシンブンの紙面で、「セレチャン日本見物」にはのんびりとした空気も漂う。戦争に直接触れたのは、靖国神社に参拝する回と軍需工場を訪ねる回だけだった。

 「極力、避けたかったようです。戦争を」。戦後も家族には多くを語らなかった。6歳下の弟を終戦直後の混乱期に亡くしたことも影響しているようだ…

この記事は有料記事です。

残り1366文字(全文2539文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集