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残像・戦争の記憶と記録

77年前に終わった戦争の記憶と記録は今、どれだけ残っているのでしょう。戦時中の記者たちが遺したものから考えました。

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残像・戦争の記憶と記録

南京入城の「生き証人」が見た風景 真実はレンズの向こうだけに

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中国・南京であった日本軍の入城式を大々的に伝えた1937年12月18日の東京日日新聞(現毎日新聞)朝刊。この写真を佐藤振寿さんが撮影した
中国・南京であった日本軍の入城式を大々的に伝えた1937年12月18日の東京日日新聞(現毎日新聞)朝刊。この写真を佐藤振寿さんが撮影した

 日中戦争から数えれば、世界中を巻き込んで日本が起こした戦争は8年に及んだ。

 中国で戦争を始めた頃、後に戦火が拡大し、日本に暮らす人々まで惨禍にまみれることになるなど多くの人が思ってもいなかった。日本が軍隊を送った地では既に、大切な家族や日常が奪われていたにもかかわらず。

 国民も報道も沸き立つ中、高揚する気持ちを抱えつつ、自らが見た「戦争の風景」を大事にした一人のカメラマンの話をしたい。【春増翔太/東京社会部】

 連載「残像・戦争の記憶と記録」は、全5回です。
 このほかのラインアップは次の通りです。
 第1回 「特攻と桜」は悲劇を映す
 第2回 「8・15」のメモをたどれば
 第3回 漫画「セレチャン」知ってますか?
 第5回 そして従軍日誌だけが残った

入城式取材、望外の名誉

 1937(昭和12)年12月16日夕、薄暗くなった中国・南京の街に、同僚と共にはしごを抱え、カメラを手に駆け回る男性がいた。

 24歳だった佐藤振寿(しんじゅ)さん。東京日日新聞(現在の毎日新聞)のカメラマンとして上海から上陸した陸軍第101師団に従軍していた。7月に日中戦争を始めた日本軍は5カ月で首都・南京を陥落させ、翌17日には大々的な入城式が予定されていた。

 「一番乗りの兵隊を最も良い場所で他社に先んじて撮らなきゃならん。だから先に城門の中で待っていたんだよ」。2008年に95歳で亡くなるまで同居していた長男尹一(ただかず)さん(81)=神奈川県藤沢市=は、父がそう語る姿を覚えている。

 当時、新聞は戦争報道で部数を増やし続けていた。戦勝の報を望む国民に応えるように、各社は多くの記者を前線に派遣し、競うように戦果を報じた。南京入城の風景をいかに華々しく伝えるか。佐藤さんの奔走も、そのための下見だった。

 騎乗の松井石根(いわね)司令官を先頭に入城する写真は現地から空輸され、12月18日の紙面を大きく飾った。「敵国の首都への入城式を取材できることは、望外の名誉であった」。後年に残した手記には、歴史の一幕に立ち会った高揚感がにじむ。

 1週間後に従軍を終えて、帰国したのは38年2月。大陸で従軍した4カ月は、晩年までついて回ることになる。戦後、日本軍による加害の歴史が検証され、佐藤さんはその「生き証人」になったからだ。

 04年7月12日、東京地裁。車椅子に乗った91歳の佐藤さんは法廷にいた。南京占領に至る過程で日本軍が起こしたとされる「百人斬り競争」を巡る裁判が開かれていた…

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