心を病んだ元日本兵 戦争体験に迫った家族の戦後77年

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戦時中は陸軍病院だった国立国際医療研究センター国府台病院。精神疾患になった兵士らの治療の場だった=千葉県市川市で2022年8月12日、下桐実雅子撮影
戦時中は陸軍病院だった国立国際医療研究センター国府台病院。精神疾患になった兵士らの治療の場だった=千葉県市川市で2022年8月12日、下桐実雅子撮影

 日中戦争や太平洋戦争で出征した多くの日本兵が、戦争神経症と呼ばれた戦争トラウマに苦しんだ。だが元兵士が心の傷を明かすことは少なかった。家族の半生を奪ったものは何だったのか、たどろうとする人たちがいる。

 戦争トラウマに苦しんだ元兵士を追った記事は全4回。このほかのラインアップは次の通りです。
第2回 死後に知った父の「熱血軍曹」姿 心通わなかった日々に悔い
第3回 「自分は国賊」 カルテから浮かぶ日本兵の〝恥〟と苦悩
第4回 「逃げないと…」 風化しない記憶に苦しむ高齢者

「腕生える手術受ける」と語った叔父

 「誰にも、家族にさえ理解されることなく一生を病院で過ごした。その無念を思うと心が痛む」

 関東地方に住む70代の女性は、1997年に84歳で亡くなった叔父について語る。

 徴兵経験のある叔父には左腕がなかった。精神疾患のため、現在の国立精神・神経医療研究センター病院(東京都小平市)で戦後もずっと過ごした。

 女性が叔父に初めて会ったのは、10代後半になってからだった。父と年に1回ほど面会し、父が亡くなってからは女性が赴いた。腕の不自由な叔父が着やすいようにと、ポロシャツのボタンを外してテープで着脱できるように直して届けることもあった。

 いつも穏やかで礼儀正しかった。自分から積極的に話すことはなかったが、「今度、腕が生える手術を受ける」「発電所をつくった」などと語った。女性は「かなうことのなかった願望や夢だったのだろう」と振り返る。

 叔父が亡くなって20年以上たった昨年夏。女性は戦争で心を病んだ日本兵がいたことを伝える市民活動を知り、衝撃を受けた。

 それまで、戦地で負傷したことは知っていても、心の病について深く考えることも、戦争体験に目を向けることもなかった。だが、叔父の精神疾患は戦争体験が影響していたのではないかと考えるようになった…

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