学童疎開の記憶、後世に 富山・氷見の寺、当時の看板を市に寄贈

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学童疎開の記憶を今に伝える看板を寄贈した柳原龍成住職(右)=富山県氷見市朝日本町の上日寺で、青山郁子撮影
学童疎開の記憶を今に伝える看板を寄贈した柳原龍成住職(右)=富山県氷見市朝日本町の上日寺で、青山郁子撮影

 戦中から戦後にかけて東京からの集団疎開の子供が暮らした富山県氷見市の名刹(めいさつ)、上日寺の柳原龍成住職(60)が9日、当時の木製看板を同市立博物館に寄贈した。柳原住職は今年のロシア軍によるウクライナ侵攻で看板を寺の倉庫に保管していたことを思い出したといい、「戦禍の記録として残してほしい」と寄贈への思いを語った。

 同市には1944~45年、東京都大森、蒲田両区(現大田区)の児童約1500人が集団疎開。その多くは寺院が宿舎となった。上日寺はそのうちの1カ所で、大森区第四国民学校(現大田区立大森第四小)の男子児童102人が暮らした。

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